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「それ、外に出たら言わないでね」
太陽を見上げて、みく先輩が眉をよせる。
日射病の常習で、お日様が大敵の彼女は、7月に入ってから帽子を手放したことがない。
夏になると太陽が嫌いになり、冬になると恋しくなるという素直な人だ。
「外って言えば、先生、寝起きだから朝食を食べてくるとか言ったまま、帰ってきませんね」
「やる気がないのよ……直也くんも、あの男は放っておけばいいの」
みく先輩の辛辣な軽口に、僕は苦笑いでのみ返答した。
この美術講の経営者であり、唯一の講師である青葉道夫は、先輩の父親でもある。
彼の絵画の腕前と、偏屈な性格と、そんな先生からみく先輩が生まれたことは、まったくの奇跡であろう。
もしくは、母親の偉大さを思い知る。
「ここ、儲かってるんですか?」
がんがんと冷気を吐き出すクーラーを見上げた。
先輩と僕――実質、彼女は経営者の娘となるのだから、受講料を払っている生徒は1人だけだ。
その微々たる受講料など、この部屋を維持するだけで赤字であろう。
「全然。本人も道楽だし~、たまに来る人もやる気ないし~……どうして美術講に、絵を描く気がない人がくるんだろう?」
「そりゃ先輩のせいですよ」
「わたし? なにが?」
不思議そうに首をかしげる。
原因が自分の容姿だと気づいてない先輩を置いて、部屋の中央に戻る。
「で、本当に何を悩んでたんです?」
「う~。どうして悩んでるって分かるのかなぁ?」
兎のスリッパを鳴らして、てこてこ、と先輩が寄ってくる。
「この絵のテーマですよ。ほら、先輩を見ていてなにか落ち着かないと言うか、殺気立ってる感じがして」
「どれどれ……うっ!?」
僕の絵をのぞき込んで、彼女は眉をよせる。
「直也君……なんか黒いもやもやに、青いリボンが蝶々結びにされたハサミが突き立って、流血しているように見えるんだけど……」
「的確な表現です」
「……あのね、わたしは殺人鬼じゃないんだから止めなさいって」
先輩が僕の頭を軽くチョップする。
「やめましょう」
自分でも、あらためて見た絵の抽象さに頷いてしまう。
「笑い事じゃないよ~」
「あぁ、ごめん。でも、何か悩んでたのは事実ですよね? 相談なら乗りますよ」
椅子に座り直して、先輩の困った顔に、再びこみ上げてきた笑いを堪える。
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