第1話 紺碧の天使

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 「それ、外に出たら言わないでね」  太陽を見上げて、みく先輩が眉をよせる。  日射病の常習で、お日様が大敵の彼女は、7月に入ってから帽子を手放したことがない。  夏になると太陽が嫌いになり、冬になると恋しくなるという素直な人だ。  「外って言えば、先生、寝起きだから朝食を食べてくるとか言ったまま、帰ってきませんね」  「やる気がないのよ……直也くんも、あの男は放っておけばいいの」  みく先輩の辛辣な軽口に、僕は苦笑いでのみ返答した。  この美術講の経営者であり、唯一の講師である青葉道夫は、先輩の父親でもある。  彼の絵画の腕前と、偏屈な性格と、そんな先生からみく先輩が生まれたことは、まったくの奇跡であろう。  もしくは、母親の偉大さを思い知る。  「ここ、儲かってるんですか?」  がんがんと冷気を吐き出すクーラーを見上げた。  先輩と僕――実質、彼女は経営者の娘となるのだから、受講料を払っている生徒は1人だけだ。  その微々たる受講料など、この部屋を維持するだけで赤字であろう。  「全然。本人も道楽だし~、たまに来る人もやる気ないし~……どうして美術講に、絵を描く気がない人がくるんだろう?」  「そりゃ先輩のせいですよ」  「わたし? なにが?」  不思議そうに首をかしげる。  原因が自分の容姿だと気づいてない先輩を置いて、部屋の中央に戻る。  「で、本当に何を悩んでたんです?」  「う~。どうして悩んでるって分かるのかなぁ?」  兎のスリッパを鳴らして、てこてこ、と先輩が寄ってくる。  「この絵のテーマですよ。ほら、先輩を見ていてなにか落ち着かないと言うか、殺気立ってる感じがして」  「どれどれ……うっ!?」  僕の絵をのぞき込んで、彼女は眉をよせる。  「直也君……なんか黒いもやもやに、青いリボンが蝶々結びにされたハサミが突き立って、流血しているように見えるんだけど……」  「的確な表現です」  「……あのね、わたしは殺人鬼じゃないんだから止めなさいって」  先輩が僕の頭を軽くチョップする。  「やめましょう」  自分でも、あらためて見た絵の抽象さに頷いてしまう。  「笑い事じゃないよ~」  「あぁ、ごめん。でも、何か悩んでたのは事実ですよね? 相談なら乗りますよ」  椅子に座り直して、先輩の困った顔に、再びこみ上げてきた笑いを堪える。    
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