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本当に、これでは後輩にあたる僕が、1学年下の勉強から教えねばならない。
現実を目の当たりにすると、嫌でも気が引き締まった。
「でも先輩、会話とかしてると、頭は悪くないんですね……」
「頭は? 全然だめだよ?」
いや、勉強が出来るのと頭がいいのは別ですから」
適当に、学力の目安をつけるために数学の教科書を広げる。
「そうだな、分かり易く言うと、勉強はできないのに凄いIQを持ってる人」
「なんか“名探偵なんとか”って探偵漫画に出てきそう」
「……そんな感じです」
名探偵と聞いて、漫画が出てくるところが先輩らしい。
「まぁ、特別な理由がない限り、頭がいい人は勉強もできるんですけどね」
先輩を見てニヤリと笑うと、彼女は頬をひきつらせて頭を下げた。
「お、お手柔らかに」
「さて、教えがいはありそうなんですよね」
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「う~、アンニュイな気分……」
「今日は様子見ですから」
どこまで先輩に分かるのかを、教科書を逆から辿らせる。
『うー』とか、『ぐぅー』とか、先輩は汗をかきながら呻いているが、どうにか鉛筆は動いていた。
ぼーっと時計を見ながら、ようやく落ち着いて部屋を見渡せた。
まず、意外に家具がない。
芸術家肌の先輩のことだから、突飛な置物やインテリアの巣窟に住んでるのかと思ったが……。
(ま、部屋が汚いのがステータスだと思っているよりはよほどマシか)
うららかな午後。
一糸の乱れもない時計の音。
離れの外はなばらな林。
扉を開けて風の通りに道を作ってやると、この部屋は木の香りに包まれる。
薄く緑色づいているような清浄な空気だ。
蝉の声もどこか遠い。
良く耳を澄ますと、チチチと鳥の鳴き声が多く聞こえる。
どうやら、彼等のねぐらでらるために虫が寄りつかないようだ。
氷室村の中でも、こんなに心落ち着ける場所があるとは思わなかった……。
まるで深海にいるようだ。
「……く~」
「……」
目の前に意識を戻すと、先輩の黒髪が机の上にくらげのように広がっていた――。
それから1年が経過した――。
正確には、わたしが絵を描き始めてから1年と11日後の話だ。
1年経っても何も変わらない。
蝉の声も、青空も、海鳴りもお元気でした。
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