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――手のひらから、この言葉に出来ない想いも流れこめばいい。
――そして、誰よりも自分を求めてくれればいい。
「……ほら、安静にして。」
「うん……。」
しばらくして廊下が騒がしくなり、血相を変えた父親が姿を現わす。
「――亜希、無事か!」
「……お父さん。」
久保は席を立って、一礼をした。
「久保先生、お世話をかけました。ありがとうございます。」
「……私はそろそろ失礼します。じゃあな、進藤。」
「……え。あ、うん。」
亜希はそそくさと立ち去る久保の背中を見送る。
――孤(ヒト)りは悲しい。
「亜希、もう痛いのは大丈夫か?」
「うん、今は痛み止めが効いてるみたい。」
(……昔の心配性なお父さんだ。)
「そうか……。それにしても娘の病気に気が付かないだなんて医者失格だな。」
「ううん。私、お父さんから逃げ回ってたし……。」
亜希は目を瞑る。
久保は亜希の気持ちを「甘えたいだけ」だと言った。
優しく接してくる父親の姿に亜希は少し戸惑いながら久保を思った。
(――私の想いはこんな風に『甘えたいだけ』なの?)
久保の姿が見えない事が、言いようのない淋しさを連れてくる。
(やっぱり違う。……先生、違うよ。)
――甘えたいだけなら。
――憧れだけなら。
――こんなに苦しくない。
(……ねぇ、先生。『恋をしなさい』なんて簡単に言わないで。恋なんて、簡単にはできやしない。)
いつの間にか眠り、次に目を覚ました時には父の姿も母の姿も無かった。
何の夢を見ていたのかおぼろげだったが、また眠るのが少し怖かった。
病室の暖房が効いているせいか喉がカラカラに渇いている。
亜希はもう一度眠る気にはなれなくて、点滴かけの台を支えに立ち上がる。
貧血気味なのか、ふらりとした。
(飲み物が飲みたい……。)
幽鬼のようにふらふらと覚束ない足取りで廊下に出ると、病棟は暗くて緑色の非常灯とナースステーションの前だけが明るかった。
歩むたびに点滴かけがキィキィと音をたてる。
ナースステーションの少し先に小さなベンチが見えてくる。
ナースステーションはたまたま空で、亜希は咎められることなくそのベンチに腰を下ろした。
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