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「っと! 危ね」
時刻表を見ながら角を曲がろうとした瞬間、琴の身体を覆う程大きな影がかかった。しかし気付いたのは影となった人物の方が先で、とっさに足を止める。視線を画面から外して、まるで自分の落ち度を隠すようにそれを胸に押し付けた。これは明らかに自分の前方不注意である。恐る恐る視線を上げると、そこには制服を着た背の高い坊主頭の生徒が立っている。その瞬間琴は血の気が引くのを感じた。
「すみません!」
「あー……気をつけろな。前向いてないと危ないから」
「は、はい。次から気をつけます」
思いのほか優しい言葉をかけられ安堵した琴は、ちゃんと目を合わせて男子生徒に頭を下げた。推定一八〇の長身である男子生徒は思ったとおり先輩だったようで、先ほどの女子生徒と同じモスグリーンのサンダルが目に入る。その時琴は見逃さなかった。『前川』と書かれたその文字を。坊主頭に、菅が口にしていた前川と言う苗字。そして入学式の日に見た野球部部長と思われる生徒を思い出すと、完全に男子生徒が野球部部長であると分かる。部活動はとっくに始まっている時間だが、前川はまだ制服を着たままだ。
「じゃあな」
そう一言いうと、前川は琴とは逆の方向に歩いていく。視界の隅にちらついたエナメルを振り向いて確かめたいとも思ったが、もし前川も振り返ったらと考えると、それは出来なかった。
ふと、一色となこの顔が脳裏に浮かぶ。
「(帰ろう)」
明日は休みだ。何をすると決めているわけではないが、新しい環境に完全に慣れていない体は休息を欲している。しかしそんな中でも部活をやる生徒たちは汗水をながして頑張るのであろう。一年前の自分が、少しだけ羨ましい。琴は無意識にため息をついていた。
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