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「まあ……細かいやり取りは割愛させていただいてですね、
要するに、上原さんは言葉が少なすぎるんじゃないですかって話をしたんです」
「うん、少し……聞いてる」
歩道橋の一番上、丁度真ん中くらいで、手すりに持たれて話を聞いていた。
春になったとは言え夜風が素肌には少し冷たい。
なびく髪を片手で抑えながら、樫くんの横顔を見つめた。
「篠村さん、四宮さんの事務所に誘われてたんでしょう?
すみません……篠村さんが不在の時、篠村さんの机の上の書類が風で散乱したことがあって……それ拾う時、スケッチブック見ちゃって……」
「そっか……」
整理整頓できてなくてごめんね、と笑ってそう答えた。
「あー、ダメだ俺」
突然、手すりを両手で持った樫くんがその場でしゃがみこんだ。
「ど、どうしたの」
慌てて私も同じ様にしゃがんで樫くんの顔を覗き込む。
「上原さんに言うだけ言って、自分は言わないのカッコ悪……」
樫くんが少し火照った顔で私の方を向いた。そのまましばしじっとこちらの目を見つめると、ぐっと意を決したように顎を引いた。
「篠村さん、まだいますよね、ここに」
樫くんの目は、ものすごく真剣だった。
茶化すことも、誤魔化すことも許してくれそうにない。
「樫くん……」
しゃがんで向かい合ったまま、ゆっくりと頷いた。
「っしゃ!!」
樫くんが突然大声を上げ、手すりを掴む腕に力を入れて立ち上がった。
私も合わせてゆっくり立ち上がる。
「今はサポートすることくらいしかできないけど、横に並べるくらい仕事できるようになるのが目標だったんで。篠村さん居なくなちゃったらそれもできなくなるから、本当にホッとしました。
それに……」
「それに……?」
しばらくの沈黙の後、樫くんはいいや、と首を横に振った。
「そろそろ戻りましょっか。誰かさんに怒られそう」
「……そうだね」
無言の先を追求してはいけないような気がして、頷いた。
歩道橋の上を再び歩き出す。温かいものを食べた後だからか夜の空気が一層冷たくなって来た気がする。
一際強い風が吹いて、思わず「わ、さむ……」と口に出した。
前を歩いていた樫くんが、ハッと後ろの私を振り返り、自分の上着に手をやって……
もう一度首を横に振った。
「あー、それこそ誰かさんに怒られるか。
さ、早く事務所に戻りましょ、寒い寒い!」
すっかりいつものお調子者に戻った樫くんが、両腕を抱える真似をして歩き出した。
風は冷たいけど、胸はじんわりと温かい。今日はそんな夜だ。
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