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理事長室の窓辺では、午後から吹きはじめた春の嵐を前に、為す術もなく桜の花が散り急いでいた。
応接セットの机には、万葉の置いたお茶が湯気をくゆらせている。
目の前には男性客。
以前に貰った名刺からすれば、代議士をしているという。
年の頃は35、36歳といったところだろうか。
かなり整った顔立ちをしているし、背も高くスタイルもいいから、かなりもてるだろう。
しかし、万葉はこの男性客が何となく気に食わなかった。
「万葉さんも同席なさいます?」
「……いえ、仕事を残していますから。」
「そうですか。それは残念です。」
言葉とは裏腹に、その声色は少しも残念そうな気配はない。
(……蛇みたいに絡み付く視線が嫌なんだわ。)
黒曜石みたいな一見綺麗な瞳は、清濁全てを呑み込むような色合いだ。
その瞳を見つめていると、底無し沼に引き摺りこまれるような感覚に陥る。
捕まってしまえば、きっと深みに填まって抜け出せないだろう。
居心地が悪い。
と、そんな万葉を助けるかのように奥のドアが空いて、この学園の理事長で万葉の父親でもある倉沢 正が姿を現した。
「ようこそ、高津先生。」
「お久しぶりです。お変わりございませんか?」
流麗な笑みを浮かべると高津は席を立って、握手を求める。
万葉は父にその場を任せると部屋をそっと出た。
(……代議士先生ね。一体、何の用があるのかしら?)
万葉は訝みながら、お盆を給湯室に片付けに行く。
万葉の足音が遠くなる。
高津はそれを確認してから、ソファーに再び腰を下ろした。
高津の表情から笑みが消える。
何気ない仕草さえ、人を惹き付ける。
理事長も笑みを消した。
「さて、その後はいかがですか?」
「……はい、おかげ様で資金繰りは順調です。」
「そうですか。では、あちらの件はいかがでしょうか?」
事務的に淡々とした口調で、まるで機械のようだ。
「……仰せのとおり、ご要望の女性を雇用致しました。」
その言葉を聞くと、高津は満足そうに目を細める。
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