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(――ごめん、ね。)  亜希は心の内で久保に謝る。 「お待たせ。」  そして、高津の後を追った。  高津はエレベーターに乗り込み、30階のボタンを押す。  二人を乗せたエレベーターは静かに音を立ててあがっていく。  晴れていれば見晴らしいいだろう景色は、春雨の水滴に濡れていた。 「そんなに警戒しなくても。」  高津が微笑めば微笑むほど、亜希は不安に駆られた。 「緊張してるね。」  亜希のように「平凡な人生を送ってきた女」が、どんな風に泣き崩れて壊れるのか、高津は少し楽しみでくすりと笑う。  亜希の肩に掛かった髪を一束掴んで口付ける。 「……そろそろ、教えて。私が『必要』ってどういう意味?」 「――聞いてどうなる?」 「何も分からないまま、攫われる気は無いの。」  蛇のように絡み付く高津の視線に竦みそうになるのを必死に堪える。 「ふーん?」  高津は意味深に微笑むだけで、口を割らない。 (一晩だけ……。)  亜希は頭の中で爪の甘い策略を巡らせ始める。  「お酒をたくさん飲ませて酔わせてしまおうか」とか、「ちゃんと話をすれば分かってくれるんじゃないか」とか。 「……これって贈収賄になるんじゃないの?」 「ん?」 「――藁をも縋る思いの理事長に助成金と引き替えに女を差し出せだなんて。」 「……参ったな。あの理事長はとんだお喋りだ。」  高津は毒づいて、亜希のエレベーターの隅に追いやる。 「……それで、そこまで知ってるのに君はなんで俺と来てるの?」  ネクタイを緩める。 「私には『守りたいもの』があるから。」 「……守りたいもの、ね。」  ポーンッとエレベーターは到着した事を知らせ、ゆっくりと開いていく。  高津が事前にスイートルームの二部屋を自分と前島の名前で取り、支配人に人払いも頼んでおいたこともあり、30階は人気がなく静かだった。 (……久保が追ってきて、邪魔しに来ない保証はゼロじゃない。)  久保に泊まり掛けの研修を課すように仕向け、今日まではそう簡単に来られない事も分かっているのに、それでも胸騒ぎがした。 「――どうぞ。」  高津は丁寧にエスコートする。  それは儀式を行う前の神官のようで、厳かな雰囲気すらあった。  亜希は無言でエレベーターを降りる。
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