84人が本棚に入れています
本棚に追加
脚に力が入らなくなってふらふらとする。
(そんな、の、嘘……。)
まるで頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃。
――目眩がする。
覚束ない足取りで歩み、椅子の背もたれに手を掛けると、よろよろと腰掛ける。
「――大丈夫?」
高津の声に辛うじて「大丈夫です」と短く答える。
「引き返すなら、今だよ? 少しでも傷は浅い方が良いだろう?」
そして、長椅子からすっと立ち上がると、亜希のすぐ傍に立った。
「……彼は止めたほうがいい。」
高津が耳元で囁く。
「君が傷付くだけだよ?」
動揺した亜希は、酷く目を泳がせている。
手に取るようにショックを受けているのが分かる。
高津は腕を伸ばすと、亜希の後頭部に手をあてがい、そっと自分の胸へと亜希を抱き寄せた。
腕の中にすっぽり収まるちょうどいいサイズ。
柔らかな抱き心地と、絹糸のように滑らかな髪。
そして、胸の疼く痛みを堪えて、哀しみと愁いを帯びた亜希の美しさに息を呑む。
(――いい表情をする。)
きっとこの表情に魅了されるのは、前島だけではあるまい。
何とかして笑わせようと躍起になるか、もっと苦しませようと躍起になるだろう。
(……案外、こういう女が『傾国』なのかもしれないな。)
どれくらいそうしていたのか分からない。
甘いムスクの香りに囚われて麻痺していたのかもしれない。
いつの間にか高津の腕の中に抱かれていて、目の前の視界が彼のスーツの胸元である事に気が付くのにはさらに数秒を要した。
「……腕。」
「腕がどうかした?」
「……そろそろ離してください。」
先ほどまで泳いでいた視線は、今では少し潤みながらも定まっている。
「私には、そのお話、到底信じられません。」
「信じられなくても『事実』だよ。」
「『事実』だとしても、彼の口から聞くわ。」
「……ふーん。」
持ち前の芯の強さを見せる亜希の様子に、高津は冷たく笑う。
「――離しても良いけど。君は泣くだろう?」
「泣きません!」
息をするのさえ、少し辛い。
目の前に久保がいれば真偽の追求も、詰じることもできるのに、今はそれも出来ない。
最初のコメントを投稿しよう!