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「――気丈だね。ますます気に入ったよ。」
亜希は唇を噛み締めると、両手で突き放すように高津の胸を押す。
「その仮面が壊れない事を願うよ。」
高津は観念したように腕を解き、コートを持つとドアへと向かう。
そして、ひとつ急に思い出したように亜希に声を掛けた。
「――僕はね、君が必要なんだ。」
「……私が『必要』?」
「ああ。」
高津は底光りする眼差しを向けたまま、微笑んでくる。
「――とっても、ね。」
意味深長な言い方に、不安に拍車が掛かる。
「じゃあ、またね。」
するりと部屋を出ていく高津の後ろ姿を眺めながら、亜希は眉を八の字にさせた。
細く長く息を吐く。
涙腺が緩んで、視界がぼやける。
(そんな事、あるわけない。)
信じたい気持ちと、猜疑心に心が揺れる。
亜希はカウンセラー室を出ると、真っ直ぐに国語科準備室の前に立った。
ドアのガラスの向こうは高津に会う前と何一つ変わらない。
(早く、帰ってきて……。)
そして「そんな事はない」と否定してほしい。
五年の歳月がこんな時はもどかしくて仕方ない。
傍に居続けていれば何の迷いもなく彼を信じられるのに、空白の時間があるとどうしたって不安になる。
(――貴俊さんが、一人で会うなって言ってたのは、万葉さんとの事を私に知られたくなかったから?)
そんな筈は無いと首を振って打ち消しても、そう考えると万葉の冷たい態度に合点がいく。
(――それにこの話が本当なら、万葉さんと結婚した方が貴俊さんのためには良い……。)
自分はまだちゃんとした資格も取れていないヒヨッコで、一方の万葉はこの学園の理事長の娘。
(万葉さんと結婚すれば、一足飛びに出世だ……。)
ザワザワと胸騒ぎがする。
『その仮面が壊れない事を願うよ。』
高津の優しい声に今さら胸が締め付けられる。
――苦しい。
高津の言葉を戯言だと一笑すれば良いだけなのに、それがどうしても出来ない。
(――高津、さん。)
春の嵐そのもののようなヒト。
満開だった桜の花びらはアスファルトに降り積もり、雨に濡れて茶色く変色していた。
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