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「……何か理由があるとは思いましたが……。」
亜希はキュッと唇を噛み締めると、その場から立ち上がった。
「――辞表は後ほど郵送致します。この採用は無かったことにしてください。」
目を三角にして、席を立つ。
(……何が『人生の中の故郷たる学校にする』ことよ!!)
腸が煮え繰り返る。
「失礼します!」
立ち上がって踵を返すと、理事長はわざとらしい咳払いで亜希を引き止めた。
「――進藤先生、先程も言いましたが、学園はあなたの双肩に掛かっているんです。久保先生を路頭に迷わせたくは無いでしょう? ……それでも辞表を出すと?」
あらん限りに目を見開く。
「……久保先生の進退は私にかかってるんですよ? 彼から教職を奪いたくはないのですが。」
「そんな……っ、卑怯よ!」
胃が縮み上がり、吐き気がする。
――教職を奪う。
亜希が思い起こした久保は、いつだって生徒や学園を大事にしていた。
そんな彼から「教師」という職を奪うことがどういう事か。
(……そんなの私が耐えられない。)
亜希は唇を悔しげに噛みしめた。
「……あなたが一晩我慢すれば全職員の生活が助かるんです。無論、久保先生も。」
理事長をギリギリと睨む。
「――勿論、『無料』とは言わない。あなたが認定試験をパスするまできちんと雇うし、久保先生にもきちんとしたポストを用意しよう。」
――悪い夢。
もし、そうなら今すぐ醒めて欲しい。
(……私が職を辞しても、今度は貴俊さんに被害が及ぶ。)
娘を守るためなら、理事長はきっと何でもやるだろう。
誰かを殺せと言われても躊躇なく手を下すかもしれない。
「……少し考えさせてください。――出来れば一人にさせて。」
亜希はふらふらと元の席につく。
「進藤先生、これはビジネスです。」
――ビジネス。
これが「ビジネス」だと言うなら、なんて一方的なのだろう。
選択肢は用意されていない。
――攫われてしまう。
――あのヒトに。
亜希は髪を掻き上げて、頭を抱えた。
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