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それは、とつぜんのことでした。
ぼくの耳にたくさんの音楽がまるでこう水のように流れこんできたのです。
はじめの数秒はぼくの耳に何が起こったのかまったく頭がついていきませんでした。
ですが、じょじょにその音楽が森の生き物たちの動きによるものだということが分かってきました。
クマのいびき、フクロウのはばたき、ヘビがしげみの中をはう音、クワガタが木にしがみつく音、風に吹かれて舞うはっぱの音まで聞こえてきました。
自分でも信じられません。
女の人はぼくのぽかんとした顔を見ると、まんぞくそうにほほえみ、
「どうやら聴こえるようになったみたいね。何の音が一番よく聞こえる?」
と聞いてきました。
ぼくは自分でいしきして音のくべつをしてみます。
「……オスのカブトムシ二匹が一匹のメスのために角をぶつけ合っている音……です」
「よし、それじゃ今からそのカブトムシ二匹の動きに合わせて踊りましょう」
どんなおどりをおどればいいんですか、とぼくが聞く前に、すでに女の人はタコのおどりからカブトムシのおどりへとかれいにシフトしていました。
足をドタバタさせたり、うでを上へ思い切りよくのばしたり。
そのすがたはそれはもう見事なカブトムシとしか言いようがありませんでした。
ぼくも見よう見まねでおどることにします。
「へえ、なかなか元気な踊り方をするのね。ところで、君、ずっと聞こうと思っていたんだけれど何て名前なのかしら?」
「知久。知るに久しぶりで知久です。あなたは?」
「うーん、お姉さん、と呼んでくれればいいわ。自分の名前、あんまりにも誰からも呼ばれないから忘れちゃったのよ」
「そうなんですか」
「そうなの」
ぼくらはそのたたかいが終わるまでカブトムシの動きに合わせておどりくるいました。
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