Daiary

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 『うん。夏って、お母さんとかかしの次くらいに大好き!』  『まぁ、お母さんはかかしと同じなの?』  『ち、違うよ! 1番と2番の間はすごく広いの』  慌てて言い直すわたしに、やさしい笑みが返される。  ・  ・   ・  ・  ・  なにを話していたのか、よく覚えていない。  記憶に何も残らないような、そんな日常の話だったのだろう。  いつしかお母さんが話さなくなり、小さな寝息が耳についた。  お母さんはとても強い人だった。  強すぎた。  だからわたしは、人の心を読める魔女だとか言われていたのに、予兆にも気づかなかった。  『よし! できた!』  『……』  悲しい。  幼いわたしが、黄色い絵の具で頬を汚して笑う。  そんな嬉しそうな顔をするほど、胸が痛くなる。  どうして、そんなに、心の底から気持ちよく笑えるのだろう。  彼女は母親の側により、いつ起きるかな、と確認しようとしただけだった。  けれど、何かがおかしかった。  笑顔が凍る。  空気で分かった。  それは、生きているモノの数を感じる、動物的な直観。  1つ。  今、息をしているのは自分だけ。  混乱していた。  どうして、ここには2人いるのに、わたししか息をしていないのだろう。  ふらふらと……やがて、慌ててわたしが駆けていった。  ・  ・  ・  ・  ・  夢を見ているわたしは、その場に幽霊のように立っていた。  お母さんの顔を覗きこむ。  だいぶ記憶から薄れている顔は、淡くぼやけている。  彼女の頭を持ち上げ、膝枕をする。  風が心地よかった。  謝ったり、泣いたりするには、自分は汚れすぎていると思った。  そして、あの男が現れた。  青葉道夫は絵の道具を小脇に抱えて、お母さんの側に座り込んだ。  もう、どうしようもない表情で、幼いわたしがそれを眺めている。  『……お前が外に連れ出したのか?』  『あ……あの……』  『そうか』  怒ることも、責めることもなく、ただ静かにあいつは呟いた。  下手に怒鳴られるよりも、ずっと心が軋んだ。  そして、何を考えていたのか、あの男は突然、絵を描く準備をはじめたのだ。  この世の地獄だった。  爽やかな風。  輝く陽光。  生きていることのみを主張する蝉の声。  そんな夏の中で、わたしは膝を抱えてじっ、と死を描く父の背中を見つめていた――。  
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