冬虫夏草

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 一瞬、陽光が差し込み影がのびる。  むわっ、とした空気が部屋に流れ込んだ。  「っ、はは」  僕は思わぬ奇跡に笑ってしまった。  先輩が『暑い』と言わなかった。  耳を澄ましても、先輩の足音は聞こえない。  静かになった部屋の中で、自然と、1枚だけ立てられたキャンバスに目を向けた。  「お弔い……ね」  なんの絵だか知らないが、先輩が昨日の様子から一転する何かがあるのだ。  「この絵に」  かけられた薄布に手をつける。  「あっ、そうそう」  「――!?」  慌てて振り返った先で、先輩が欠伸していた。  「な……なんの冗談かしりませんが、心臓に悪いですよ」  浮かしかけていた腰が落ちる。  胸を押さえて天井を仰ぎ見た。  先輩の顔を見るのが健康に悪いのははじめてだ。  「……行ってきます、って言うの忘れた」  「ああ、ええ、僕も行ってらっしゃいって言うのを忘れてました」  「行ってきます」  扉に寄りかかって、彼女はこちらを見ずに呟く。  まるで画布から目を背けるように。  「行ってらっしゃい」  今度は先輩を見ながら言う。  彼女はそれで満足したのかドアノブに手をかけるが、そのまま振り返った。  「冬虫夏草ってしってる?」  「? 虫から生えるキノコですよね?」  冬虫夏草は、昆虫に寄生したその身体を養分に成長するキノコだ。  文字通り、冬は虫だが、夏になると草になる生物。  見た目はグロテスクだが、れっきとした高級食材のはずだ。  「実物はみたことないですけど」  「そう」  先輩はそれきり黙り込んでしまう。  唐突な質問というのは、凶事を運ぶコウノトリのようなものだ。  暗に示されたキャンバスを見る。  冬虫夏草の絵?  「昨日、ずっと昔から願っていた夢が叶ったの」  「夢……僕に好きって言われること?」  「本当に嬉しかったんだよ」  そんな瑣末な夢など、これから幾らでも叶えてあげるのに、先輩は不治の病に冒された少女のように儚く微笑む――。  「ちゃお♪」  思い過ごしだった。  彼女は壁にかけられていた帽子をきりりとかぶり、いつものペースで夏への扉を開く。  そして、三度振り返った。  「今日も暑いよ」    ――バタン  「……」  頬をかいて立ち上がる。  窓辺によって、先輩が立ち去ったのを確認する。  念のためにドアの外を覗き込んだ。  
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