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「そうだね。彼女の感性は、生き急いでいたから――死に近いからこそ得たモノだったのかも知れない」
先生は煙草をとりだし、火をつけた。
「あれを越える作品は描けないと思った」
(思った?)
奇妙な語尾がひっかかった。
微かな間。
「このスケッチブックを見るまでは」
先ほどの仕返しのように、動かない僕を先生がやさしく見つめていた。
蝉の声はなく、鳥だけが泣いている。
「……まさか……みく先輩?」
薄く煙る紫煙の向こうで、彼は俯いた。
最近の――この夏の先輩の豹変。
まるで生き急ぐような毎日。
唇と身体を重ね、絵を描き、アイスを食べ、僕に絵を描かせている。
「あの子はわたしの前では笑わない……それに、最近では美術講以外では、1分以上顔を合わせようともしない」
「それは……」
その声はあまりにも小さくて、彼には聞こえなかった。
「本当にあの子は……寝ているか縛り付けでもしなければ絵を描けない――ああ、うん、それもいいかも知れない。私は神に感謝するよ。再びこのような機会に巡り会えたことに」
先生はクッと小さく笑う。
僕は全身を栗立たせて立ち上がった。
そいつは無垢で純粋な笑みを浮かべている。
コロサナケレバ――。
剣の役目を思いだせ。
銀色のナイフはポケットに仕舞われている。
多分、止まらない。
冷たい刀身を手にしてしまえば、今度は止まる要素がなかった。
僕がポケットに手を入れるのと――。
そいつが目を細めるのと――。
部屋の扉がノックされるのは同時だった。
「ぼんじゅ~る、おっひるごは~ん♪」
「……」
「……」
「……あれ? あれれ?」
間の抜けた声に、ぎりぎりぎりぎりぎりぎり、と振り返る。
がちゃがちゃと食器のすれる音と、ドアノブが空回りする音が響く。
「……なに、やってるんだ?」
手が塞がっていて開けられないんだろう」
先生が冷静に現状を分析する。
食器を置けばいいのでは?
――なんて思うが、まぁ、そんなとこだろう。
絨毯を汚さないとか、公害問題にならないだろうかと心配になるほど、色々な物が耳から流れだした気分だ。
「はぁ……」
とりあえず重たい空気を吐き出す。
憑き物にでものっかられているように、肩が重い。
「ご苦労だね」
先生が僕の肩に手を置く。
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