冬虫夏草

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 僕の後ろに立って、彼女は意外そうな声を上げる。  「いや、絵本のほうです……子供の頃ね、妹を寝かしつけるのに何度も読んであげたことがあるんで」  「やさしいおにーちゃんだったんだね」  「いや、僕も好きなんですよ。だから先輩も恥ずかしがらないで下さい」  「そうなんだ。うん。いっしょいっしょ」  口元に手を当てて笑み、先輩はベッドにすとん、と腰を下ろす。  「わたしね、その絵本が大好きで、一度だけ作者の人と会ったことがあるの」  「へぇ……なんとか真一でしたっけ」  「うん。そこでね、ちょっとだけ時間があったから聞いたの。こんなお話どうやって思いついたんですか、って」  「それで、答えは?」  上半身を背に預けて、耳を澄ます。  彼女は笑ったまま動かなかった。  「先輩?」  ――壊れました? とは続けない。  「違うの、彼はニコニコと笑って、なにも答えてくれなかったの。ただね――」  一度言葉を切り、先輩は絵本を胸に抱く。  「目が少しだけ潤んでいて、ああ、本当にあった出来事なのかな、って思った」  それすら体現するように、彼女は瞳をゆらす。  「ねぇ……悲しいお別れをしないと、人は誰も、先には進めないの?」  笑顔のまま泣いているように見えた。  僕は椅子を立ち、彼女の前にひざまずく。  「……強くなる、ということでしたら」  「ごめんね。弱くて」  耳元に彼女の声だけが囁かれる。  「少しだけ」  「少しだけなら」  とん、と先輩の首が肩にのる。  背に手をまわして、ぽんぽんと叩いた。  いつまでも、と言うには少し年をとりすぎた。  「ロミオとジュリエットだって14歳と12歳ですから」  「……なにそれ?」  先輩の身体が小刻みに揺れている。  笑っている、と思うことにした。    日も沈み、涼やかな夜のとばりが訪れていた。  蝉の声の代わりに、鈴虫が鳴き、風流な日本の夜を演出する。  ご飯を食べ、風呂に入り、浅黄色の浴衣に着替えていた僕は、夕涼みという至福の時間をこのような一言でうち砕かれていた。  回想しよう。  「さのばびっち、ばんごは~ん♪」  「……」  そんなに暑いだろうか?」  うちわ片手に、思わず温度計か体温計が必要だと感じる。  「……意味、分かってませんね?」  「なんの?」  ケロリと先輩が笑う。   
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