冬虫夏草

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 キッ、と甲高いブレーキ音を立てて自転車を止める。  「……」  「? どうしたの?」  数歩前にでて、先輩が振り返る。  夜の静寂にも遠く、遠く響きわたる潮騒の音に耳をすます。  「いや、ここまでくれば、もう大丈夫ですね……」  「あははは、そうだね」  駅向こうの微かな明かりを目にして、先輩は頷く。  少しだけ寂しそうな目をしたけれど、僕はあえて気付かぬ振りをした。  浴衣の袂から、きらいに包装された包みをとりだす。  「これ、お返しです」  「なんの?」  「今度の手料理の」  苦笑い気味に包みを受け取り、先輩はその軽さに不思議そうな表情をする。  「指輪でなくて残念ですが、少し前に作ったけど、渡しそびれてた物です」  「……手作りなんだ」  ぎゅっ、とその包装を抱きしめて、彼女は月夜に微笑む。  「ありがとう」  海風が、ざっと彼女の髪をなびかせる。  月の下。  海の上。  星の下。  世界の果て。  ガシャン、と自転車が倒れる音を聞きながら、僕らは口づけを交わした。  月の雫のように甘い蜜。  僕の胸に収まるように作られたお姫さま。  温かいガラス細工。  ラムネ瓶。  夏休み。  水。  なにもかもが愛しい運命の中で、自転車の車輪がカラカラと空回りしていた。  
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