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あまり感情を表に出すことがない多田の表情が少し厳しさを増していく。
しかし、僕の態度は依然として変わらない。
「そうか、覚えていないか。あのとき、私にこう言ったんだ。あなたの言う言葉の意味を見つけたい、とね」
多田は少し呆れ気味でため息を吐いた。
それからも話は続く。
「自分の生きている意味を知りたいと。この世界……いや、仕事は遊びじゃない。苦労し、悩み、疲れ、皆はそうしてお金を貰っているんだ。生きていくために」
中途半端な僕に対し、ただ単に苛立っていたわけではない。
それはわかっていた。
しかし、僕にはまた説教かとしか思えなかった。
どこにでもいるような、少し根暗な大学生。
きっとそんな風に思われているのだろう。
実際はそんなことなどはどうでもいい。
誰にどう思われようがそんなことは全くもって気にしていない。
「君が自分自身でやると決めた以上、責任を持つのが筋ってもんじゃないのか?」
「確かに仰っていることは全くもって正しいと思います。が、あなたは何も知らない」
ありふれた幸せに当たり前のように触れてきた人間にとやかく言われたくはなかった。
そんな人間に僕の何がわかる。
あんな世界で生きてきた、僕らの何がわかると言うのか。
蔑まれ。
はね除けられ。
不平等かつ、理不尽な世界。
そんな世界で育った僕らの気持ちなど、決してわかりはしない。
「人にはそれぞれ、生き方と思いがあります。あなたがどういう人生を送ってきたのか、それは僕も知らない。だけど」
「君の本当の名は?」
心臓を掴まれたような、このまま鼓動が止まってしまいそうなくらいの衝撃が走る。
言葉を失わざるを得ない。
それはある意味、僕が一番知られたくない情報だ。
そして、知られることを恐れた。
僕の過去。
それは、誰であっても知られてはいけない。
記憶に深く刻まれた、消したくても消せない過去。
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