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一体、何をしているのだろう。
この行動の意味を自分でも理解できない。
どしゃ降りの中、僕は傘も差さずに走っている。
ただただ走って、雨に打たれている。
多少の雑音は雨音でかき消されてしまうほどで。
さっきまで見えていた月も、今では分厚い雨雲に隠れてしまい影も形もない。
「祐司、由希奈」
また、心がひどく騒ついた。
突然、不意に口から出た二人の名前。
それと同時に、僕の足は固まったかのように前に進めなくなった。
全てを捨てたはずだった。
過去も名前も……
全てを捨て、一からのスタートをしたはずだった。
何もかもをなかったことにしたはずだった。
ただ一言。
ひた隠しにしてきた本名を言われただけ。
それだけで、苦しみも悲しみも何もかもが蘇ったというのか。
まだ過去は僕を解放してはくれないのか。
厚かましいということはわかっている。
あんな過去がありながら、のうのうと生きている自分に時折腹が立つ。
生まれてきたことにだって後悔した。
生まれてこなかったのなら、ここまで苦しむ必要はなかっただろう。
生まれてこなかったのなら、誰にも迷惑はかけなかっただろう。
けれど、初めて生まれてきて良かったと思わせてくれた人。
この世界にも価値のあるものが存在すると感じれた人。
それは紛れもなく、口から出た名前の人物なんだ。
どうして僕ら三人は出会ってしまったのだろう。
出会なければ、三人はこんな思いをする必要もなかったのに。
「え……け、慶一?大丈夫?」
顔を上げると、そこには傘を差しながらとても驚いている優奈の姿があった。
慌てて傘の中に僕を入れ、今日買ってあげた真新しい服の袖で優奈は優しく僕の顔を拭く。
夢でも見ているようだ。
小さい頃もよく、こんな風に慰められていた。
「ちょっと!早くお風呂に入らないと、風邪引いちゃ……」
たった一本の傘は地面に落ちる。
僕は……力強く、優奈を抱きしめた。
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