第一章 愛歌<アイウタ>

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――綾華の泣く姿が、頭から離れない。 綾華を悲しませているのは他でもない、自分だ。 なのに、そんな彼女をただ見ていることしかできない。自分の無力さに腹が立った。 しかし、だからといって……彼女を見捨て、天に向かえというのか? 「そんなことは、絶対出来ない」 弘樹がそう呟いた時にはすでに日は落ち、群青の空が広がっていた。 * * * 翌日の正午過ぎ、弘樹がいたのは綾華の病室の前。……が、入ることをためらっていた。 昨日の綾華の泣き顔を思い出すと、部屋に入るのが怖かったのだ。 しかし、ここで突っ立っていてもどうにもならない。弘樹は、そっと部屋の中に入っていく。 綾華は相変わらずベッドの上。しかし、もう涙を流してはいない。 隣で遠慮がちに昼食を片付けている看護士には目もくれず、ただ焦点の合わない目で窓の外を見つめている。 昨晩泣きはらしたのだろうか……目が赤く腫れていた。 「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」 看護士は気遣わしげにそう言い、弘樹の横を通り過ぎて部屋を出ていった。 運ばれていく皿には冷えきった昼食。手をつけられた様子は微塵もなかった。 静まり返った病室に、突如小さな笑い声が響く。見ると、綾華が身をよじらせ、クスクスと笑っている。 「……綾華?」 戸惑う弘樹をよそに、綾華の笑いは止まらない。 「そうよ……なんで気づかなかったんだろ。別に弘樹に会えないわけじゃ無いじゃない」 そう呟き、ベッド脇にある小棚の引出しから果物ナイフを取り出した。 その刃を愛おしそうに眺める綾華の目は、狂気の光を宿している。 「……まさか」 弘樹の予想通り、彼女は両手で握ったナイフを自分の喉に向けた。 「弘樹はこっちに来られないだけ。だったら、私が会いに行けばいい」 「やめろ!」 綾華の手からナイフを払い落とそうと手を出す。しかし、弘樹の手は虚しく空を切っただけだ。 ――触れない! 弘樹は室内を見渡しながら叫んだ。 「キズナ! 近くにいるんだろ!? 助けてくれ! 綾華が……綾華を止めてくれ!」 しかし、弘樹の声に反応するものはない。 「弘樹」 綾華の声に、弘樹が素早く振り返った。 「私もすぐに行くから……待ってて」 天井を見つめ、独り言のように言う綾華。ナイフはもう、綾華の喉から数㎝ほどしか離れていない。 「やめてくれ!」 弘樹が絶叫した。
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