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――綾華の泣く姿が、頭から離れない。
綾華を悲しませているのは他でもない、自分だ。
なのに、そんな彼女をただ見ていることしかできない。自分の無力さに腹が立った。
しかし、だからといって……彼女を見捨て、天に向かえというのか?
「そんなことは、絶対出来ない」
弘樹がそう呟いた時にはすでに日は落ち、群青の空が広がっていた。
* * *
翌日の正午過ぎ、弘樹がいたのは綾華の病室の前。……が、入ることをためらっていた。
昨日の綾華の泣き顔を思い出すと、部屋に入るのが怖かったのだ。
しかし、ここで突っ立っていてもどうにもならない。弘樹は、そっと部屋の中に入っていく。
綾華は相変わらずベッドの上。しかし、もう涙を流してはいない。
隣で遠慮がちに昼食を片付けている看護士には目もくれず、ただ焦点の合わない目で窓の外を見つめている。
昨晩泣きはらしたのだろうか……目が赤く腫れていた。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
看護士は気遣わしげにそう言い、弘樹の横を通り過ぎて部屋を出ていった。
運ばれていく皿には冷えきった昼食。手をつけられた様子は微塵もなかった。
静まり返った病室に、突如小さな笑い声が響く。見ると、綾華が身をよじらせ、クスクスと笑っている。
「……綾華?」
戸惑う弘樹をよそに、綾華の笑いは止まらない。
「そうよ……なんで気づかなかったんだろ。別に弘樹に会えないわけじゃ無いじゃない」
そう呟き、ベッド脇にある小棚の引出しから果物ナイフを取り出した。
その刃を愛おしそうに眺める綾華の目は、狂気の光を宿している。
「……まさか」
弘樹の予想通り、彼女は両手で握ったナイフを自分の喉に向けた。
「弘樹はこっちに来られないだけ。だったら、私が会いに行けばいい」
「やめろ!」
綾華の手からナイフを払い落とそうと手を出す。しかし、弘樹の手は虚しく空を切っただけだ。
――触れない!
弘樹は室内を見渡しながら叫んだ。
「キズナ! 近くにいるんだろ!? 助けてくれ! 綾華が……綾華を止めてくれ!」
しかし、弘樹の声に反応するものはない。
「弘樹」
綾華の声に、弘樹が素早く振り返った。
「私もすぐに行くから……待ってて」
天井を見つめ、独り言のように言う綾華。ナイフはもう、綾華の喉から数㎝ほどしか離れていない。
「やめてくれ!」
弘樹が絶叫した。
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