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「……!?」
突然の話題に足が止まる。
大きく踏み出した足が、ドン――と音を立てた。
ぎりぎりの間合いの外。
それがまずかった。
身長差で間合いは変わる。
道夫の足が、前にですぎた僕の足を刈る。
体勢が崩れるのを察知して、身体が無意識に、ナイフで自分を傷つけないように肩から地面に落ちた。
「――っ!」
すぐに立ち上がろうとするが、ナイフのせいで一挙動遅れた。
右手に肘を踏まれる。
痛みに手の力がゆるんだところで、指を思い切り蹴られた。
ナイフを諦め、そのまま転がって、反動で起きあがる。
「はぁはぁ……」
追撃を恐れて、そのまま後ろに下がった。
指が痺れていて、思うように動かない。
「人を殺す、という行為を勘違いしてるんじゃないか?」
道夫がナイフを拾い上げ呟く。
「誰かを守るとか、誰かをうらんでいるとか、かっこいいからとか、そんな理由では人を簡単に殺すことはできない。本当の殺意は、何気ない日常――たとえば学校の屋上で友人が下を覗き込んでいたり、仲の良い夫を見送る妻が、その靴紐を結ぶ背中を見て覚えるものだ」
「……それが、みく先輩か?」
呼吸を整えて、しっかりと立ち上がる。
足が震えているのを自覚する。
道夫には何も変化がなく、確かに、それが怖かった。
「たとえば君の妹が襲われて、子供を身ごもってしまった。君は憤るだろうが犯人はわからない。そうこうしているうちに子供が産まれてしまった時に、君はその子に殺意を持つか否か」
「……答える義理はない」
「もちろん義務もない。ただ、頭の片隅で考えていて欲しい」
道夫はナイフを手に、奥の木戸に歩み寄る。
持つか否か。
答えは持つだろう。
だからなんだと言うのだ。
「脅迫か……」
「お願いだよ」
僕に背を向けて、道夫は木戸の鍵を開けた。
「私は多分、子供が産まれる前に母胎を殺すだろうから……」
道夫が戸を開けようとする。
その背は酷く無防備だ。
(さて……)
入り口には僕のほうが近い。
指には感覚が戻ってきていた。
支障はない。
それだけ確認して、ポケットから、少年から奪い取った本物のナイフを取り出す。
道夫が戸を開く。
その音に紛れて、僕は静かに動いた。
初めて耳にする道夫の作業場は、とても光量が強く、彼の姿がシルエットにしか見えなくなった。
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