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「実は、こんなものを書き残さなくても、わたしはこの夏の出来事をつぶさに思いだすことができます。今でもたまに、この夏の夜を夢見ます。とても大切な人を手に入れて、とても大切な人を失った夏休みを……。いつか、子供達に語って聞かせられればと思う。どこまでも果てのないひまわり畑。おっきな白い入道雲。塗り込められた風は、少し潮の香りを含んでいる。この夏休みが、ずっと続けばいいのに……。そう思えるような絵を、彼はこの夏に描いた。」
「……おはよう」
急に暗い部屋に入ったために眩んでいた視界が、徐々に光を取り戻す。
誰もいない教室。
いつも、返事は期待していないけれど、ちょっち淋しい。
クーラーをつけて、コーヒーをセットする。
手持ちぶさたに窓辺の椅子に座り、部屋を見渡すと、お母さんの絵はいつの間にか片づけられていた。
部屋はがらんとしている。
(……あの男は起きたのかしら)
物憂れげに頬杖をついて、まだ回転数の低い頭で考える。
教室の奥の、重苦しい木戸を見る。
道夫の私室であり、仕事場でもある部屋には重たい鍵がついていて、わたしですら一度も足を踏み入れたことがない。
「わたしですら」
自意識過剰かしら。
でも、自分の家の中で、入ったことがない部屋があるなんて普通じゃない……。
ぼーっとしているうちにコーヒーが沸く。
朝だけは、気が付くとお湯が沸いていて楽である。
コポコポとマグカップに茶色い液体を注ぐ。
途中で意識が飛びかけたが、あやういところで復調する。
机の上に上半身を投げ出すと、髪の毛がくらげみたいに散らばった。
クーラーが中途半端に効き始めて、室内の空気が生ぬるく流動していた。
アメーバ―は水飴の味。
「プリンに醤油でうにの味……きゅうりに蜂蜜でメロンの味……」
猫舌なので、香ばしい匂いだけを楽しむ。
カップから立ち上がる煙を見つめながら、うつらうつらとまた目を閉じる。
「……くぅ……」
・
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うだうだとしているうちにアイスコーヒーが出来上がり、体はいい具合に冷やされ、時間は昼近くとなっていた。
累計睡眠時間12時間。
こんなものだろう。
「さて、おっでかけ、おでかけ♪」
ハンカチとティッシュ。
持った。
スケッチブック。
持った。
鉛筆2本。
持った。
お財布。
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