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藩政の昔、貧乏であるが故に分限者の家で牛馬みたいに使われている人たちがいた。その人たちをヤンチュ{家人」と呼んでいた。
焼内の須古に十九歳になる娘がいた。娘の名はカンツメといい、美人で働き者であった。主人は妻の目を避けながらカンツメを欲望の目でみていた。
そのうちカンツメは佐念山を超えた瀬戸内の久慈の役所に勤める岩加那{イワカナ」という青年と恋におちた。この若い男女は越えることのできない身分の違いを知りながら、夜になると佐念山の山小屋で岩加那の弾く三味線でうたい、カンツメはそのときだけヤンチュの苦しみを忘れることが出来るのだった。ところが、このことがヤンチュ仲間に知られ主人夫婦に告げ口された。そこで夫婦の間の嫉妬が絡み、カンツメは裸にされ女の大事な局部に焼き火箸をあてられる。
カンツメは生きる力をすべて失い、佐念山の山小屋に行き岩加那を恋い慕いながら、一人淋しくあたら命を絶つのである。
後の世の人はカンツメの悲劇を悲しんで、詠み人知らずのカンツメ節をうたっている。
ゆべがあしだるカンツメあぐくゎ あしゃ死のしゃん夜や
久慈下がり口ぬ 佐念山なんて
提灯うまちぬ あかがりゅたむんど
カンツメあぐくゎや やっとな死にしゃ
野原ぬやどりなんて 草ぬ葉し花香しらて
訳 {文英吉著 {奄美民謡大観」
カンツメ姉さんは、なんという気の毒な死に方をしたのだろう。人のいない野原の空き小屋で、誰一人見守る人もなく周囲の自然に生えた草花を以ってそのまま花香にされて死んでいった
まことに、まことに可哀想なことである
カンツメの墓は焼内湾の奥の山裾にある。
物語や民謡でこれほど知られているというのに、カンツメの墓は墓地の隅に人目を避けるようにして、埋もれた石のそばにあり竹筒が一本立っている
須古から入り江に沿って名柄に向かう
名柄小中学校の校門に建てた標柱に名瀬から64キロとある。
佐念山の峠から50メートルばかり細道をいった木立の中に{カンツメ之碑」が建っている
高さ40センチばかりの碑の前の花びんに雑木の花枝が指してあり、立ち寄る人もいるらしい。
続 奄美風土記 栄喜久元著 参考に忠実に書き写しました
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