1章

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 暦の上では四月。しかし、ほぅと息を吐けばまだ白く曇るほど冷え切った早朝。  まるで寝ているかのような静まりを見せる町に、人影は少ない。薄紫色に染まる天球の蓋が、徐々に薄青色にその姿を変えていく。  もうそろそろ世界に朝がやってきて、人間たちが慌ただしく日常を繰り広げる。遥か昔からそうであったように。遥か未来でもそうであるように。    少しだけ時が流れ、朝が世界を染める。朝練のある生徒や通勤に時間を要する大人が思い思いの速度で町を移動し、世界は一気に賑やかになる。  だが、そんな世界の流れをまるで無視するかのように、少女――常盤眼(ひたちまなこ)はベッドの上で幸せそうな寝息を立てていた。艶のある黒髪が寝息とともに上下しており、口元が綻んでいた。きっといい夢でも見ているのだろう。  だが総じて幸せな時間というのは長くは続かない。 「まなこー 遅刻するわよー!」  例えばこんな風に。  流行りのキャラクターで埋め尽くされ、本来の役割を忘れかけている鏡台で制服の乱れがないかをチェックしてから、階段をトントンと軽快に降りる。  お気に入りのシュシュで束ねたツインテールが体に合わせて上下するが、残念なことに上下するバストはない。   「おはよっ!」 「眼、朝ご飯要る?」 「今日はいいや!」  母親である常盤珠江(ひたちたまえ)の心配げな声などどこ吹く風で、眼はローファーに小さな足を包み、ふわりとスカートが翻るのも構わずに外に飛び出して、 「さむっ!」  小さく震える。と同時に、世界を照らす太陽の光を一杯に浴びて目を細める。元々吊り上がった細目が、ほとんど線のような細さになった。  ピンク色のカーディガン――眼にはやや大きく、袖が余っている――に小さな手をすっぽり埋めて、足はどうしようもないので我慢して。  今日も眼は日常へと繰り出す。  暖かくて、愛おしくて、だけど退屈で変わり映えのしない日常へと。
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