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こんな時だって言うのに、彼は平然と聞きかえしてくる。
鈍くて殺してやりたかった。
もう一度キスして欲しい。
それだけ良いのに、この男ときたら――! 彼は、駅向こうのコンビニの袋を、大切そうに拾いあげていた。
その側面に血がついていて、見ると、件の少年は顔を押さえて地面に横たわっていた。
「っく!」
手首を押さえて、なんとか立ち上がる。
足の痛みは、よく分からない。
……それより寒かった。
「とりあえず、傷に布を当てただけですから」
そう言った直也くんの上着は、袖が引きちぎられていた。
「生きて……うっ……良かった……」
「ええ……でもその前に、後かたづけをしなきゃ」
そう言って、彼は足下に転がっていた包丁を、伸びてきた別の手よりも速く、しかしゆっくりと拾いあげる。
「クソッ――ぐ!?」
直也くんは這い寄ってきた少年の頭を片手で押さえつけ、包丁を手放して、恐ろしい速さで空中で逆手に持ち替えた。
「――!」
枯れた井戸から吹く風のように、ヒュウ、という音が少年の口から漏れた。
「……たかが缶ジュースの入った袋で叩かれたぐらいで悶絶してるヤツが、刃物で刺される痛みに耐えられるかな?」
その横顔に、わたしは震えた。
本当に、あの目を向けられたら、わたしは生きてはいけないだろう。
全く色のない、黒い瞳が無機質に細められる。
「……美術家の手の価値を知ってるか?」
「あ」
少年は、顔の下半分を真っ赤にして、口を動かしていた。
「死ね」
「ダメ――ッ」
・
・
・
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・
今度こそ、辺りの家という家の窓が開く。
「もう……遅いですよ」
平然と直也くんは呟く。
「嘘よ!」
「嘘です」
そう言って、彼は、少年の顔紙一重に落ちている包丁を示した。
……絶対に、本気だったと、思う。
「ばか……」
膝が崩れて、ペタンと地面にへたりこむ。
「ばかばかばかばかばかったら、このおおばか!」
「命の恩人」
彼は自分に顔を指さす。
わたしは缶ジュースを投げたが、左手で投げたそれは、全く見当違いの方向に飛んでいった。
「わ、わたしのために人なんて殺したら、本当に嫌いになってやるんだからっ!」
まるで痴話喧嘩みたいだった。
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