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「いや。医師はなにもしないよ。ただ、その人の自己治癒力を高めるだけだ。もう結構ですよ。
お疲れ様でした」
わたしは一礼して立ち上がり、もう一度礼をしてドアノブに手をかけた。
開けて、閉める。
振り返ると、医師も同じように、肩越しにわたしを見ていた。
「さすが……」
「なんの」
彼は椅子をまわして、こちらに向き直る。
わたしも、スカートを回転させて手を後ろで組む。
「先生、手が動かなくて、絵が描けないのはすごく寂しいけど……でも、目はまだ見えます」
わたしは、あかんべー、をする。
「どんなきれいなモノだって、わたしはまだ見ることができるんです。 先生……」
その言葉が、酷く胸に突き刺さる。
先生――。
彼の遺言通り、これからずっと、わたしは笑顔でいようと思った。
「カメラで写真撮ったり、小説とか書くのって、この年からだと難しいと思いますか?」
「いや」
彼は首を振る。
その仕草がとてもセクシーだった。
机の上に『Dr.SAKAMINE』とプレートが置いてある。
「わたし、この夏のお話を書いて、子供に聞かせてあげるんです。お父さんが、どんなに凄い絵をかいたのかを……』
「子供? いるの?」
彼は椅子から少し腰をあげる。
わたしは笑った。
「妊娠してるんです」
「まさ、か……」
「嘘です」
「は?」
その顔を見れただけで満足だった。
戸によりかかって、頷く。
「そうだったらいいなぁ……って」
「……ああ、うん、いい物書きになれそうだ」
彼は呆気にとられて、顔を押さえて笑いだす。
「小説の最後くらいは、そのくらい幸せでもいいじゃないですか」
「それは……その、とても女の子だ」
「先生……」
その言葉を、何度も繰り返したかった。
「わたし、お話してる最中も、がんばりましたよ……ね、先生」
「とりあえず、涙を拭きなさい」
「……今だけいいですよね」
「かまわないよ」
嗚咽をこらえきれず、わたしは少しの間だけ、子供のように泣いた。
そのお話は、そこで終わっても、まぁ良かった――むしろ、凄くきれいなのだろうけれど、残念ながら続きがあった。
風が気持ちいい。
丘の上に立って、辺りを見渡す。
帽子が飛ばされそうになるのを、必死に押えた。
「……戻って来ちゃったね、君」
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