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「あの、じゃあ……」
「名前、聞いてもいいですか」
「あっ、矢澤です」
「そうじゃなくて、下の名前」
下の名前。
なんだっけ。
思いがけない質問に頭が一瞬真っ白になる。
下、下、下。
そういえば、最近私のことを名前で呼ぶ人なんて周りにいない。
『リンちゃんのママ』とか、『おい』とか、『お前』とか。
どこかに名前を落としてきたように、日常の中に私の名前は無い。
「えっと、春花です」
「春花さん、いい名前ですね」
私の名前を誰かが口にする。
それだけで、大切な無くし物が手元に戻ってきたかのようだった。
「あの」
「僕は祐一と言います」
思いが通じたのだろうか。
聞く前に彼は名前を教えてくれた。
ユウイチ。
祐一君。
心の中で二度繰り返しただけで、胸の外側がじんわり熱い。
この気持ちは何だろう。
切なくて、むず痒くて、少し懐かしい。
遠い昔に経験したことのある、何か。
だけど、それをハッキリと認めてしまうことは怖かった。
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