それは、僕じゃない

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‘あっ’と、息を飲む喉の音を聞いたと思ったら、視界の端が動いた。ソファから立ち上がった雨宮が、オレのすぐ隣を通り過ぎて行く。雨宮の長い髪が、ふわりと香る。 「おはようございます、桜木課長。」 「おー、おはよ、雨宮、吉田。今日は早ぇなー、お前。」 少しの間、その残り香が、漂っていた。良い匂いだ。 「桜木課長、今日、そんなに遅くならないですよね?どこかご飯食べに行きませんか?」 「んー、飯?良いよ。どこにする?」 さっきまで雨宮が一人で寝ていたソファに、今度は桜木課長と二人で座る。隣同士、それでも少しだけ間を空けて。 「和食が良いです。たまには、魚が食べたい!」 「珍しいな、ハンバーグって言わないの。今日は、雨が降るんじゃね?」 「酷い。私だって、たまには違うことも言いますー。」 まるで、この空間には、オレなんていないみたいな二人の世界を、これ以上見ていたくなくて、オレは、視線をずらした。 雨宮は、変わってしまった。 おれの知ってる雨宮じゃなくなった。 髪の匂いも、頬の滑らかさも、手の暖かさも、笑顔の柔らかさも。 何もかも、桜木課長仕様に変わってしまった。 雨宮は、元々、キレイだったけれど。 だけど、とてもとても、雨宮が、キレイになった。 僅かに開いている二人の距離は、多分、オレがここにいるからだ。 きっとオレがここから出て行ったら、あの僅かに開いた距離は、なくなるのだろう。でも、そう思うことは、おれの負けだってことなんだ。 悔しいなぁ。 雨宮を変えたのが、オレじゃないなんて。 悔しいなぁ。 End
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