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取引先の男が薄く愛想笑いをしている。契約の更新はないが、この交渉を円満に切り上げたいという意志の表れだった。
しかし、生活のかかった俺としては、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
営業職にとって、契約の数はそのまま報酬につながっているといっても過言ではないのだ。
俺は粘りをみせた。いろいろな角度からパンチを入れてみる。だが、担当者の返答はどれも当たり障りのないものばかりだった。
やがて顔がだんだんと無表情になり始めた。今度こそは、本気でこちらを突き放そうとしている証拠だ。
これ以上の粘りが無意味であることは、俺も自覚していた。
それでも続けて頭を下げてしまうのは、ある意味営業職の性なのかもしれない。
結局、取引先の男は去った。
そして気づくと、いつの間にか目の前に千里がいた。
千里は、いつもより数段おしゃれな格好だった。化粧の乗りがよく、表情もどこか穏やかであるように見えた。
別に男ができたんだな――なぜだが俺はそう直感した。
やがて、千里の姿も消えていた。
俺はいつしか、古びた感じの道路を歩いていた。実家のある住宅街の風景にも似ている。
隣には、高校時代に交際していた女の子の姿があった。
彼女は笑っていた。俺もなんだか楽しかった。
懐かしい雰囲気の道を、目的も当てもなく歩いているのだった。
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