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◇◇◇◇
「青木が大手企業の営業マンだなんてねぇ」
電話を切り、ふふっと笑いながら矢嶋が振り返る。
俺は軽く相槌を打ちながら、二つのマグカップに珈琲を注いだ。
「口が達者だしな。上手くやっていけんだろ」
「うん、元気そうだったよ。職場に好きな人が出来て頑張ってるみたい」
「へぇ」
「今度飲もうって」
嬉しそうに俺を見上げた矢嶋に軽くキスをして、マグカップを手渡す。
矢嶋と俺は春からめでたく教職につき、お互い忙しく生活している。
でも、帰る場所は一緒。
「水城、職場には慣れた?」
「まあ、ぼちぼちだな。お前のほうはどうなんだ」
「うん、皆優しいし、ちゃんと指導してくれるから」
「そうか」
矢嶋の隣に腰を降ろし、新聞を広げた所で隣からの視線に気付く。
敢えて知らぬ振りをしてみても、視線はいつまでも俺の横顔へと注がれている。渋々振り返り、なんだと問いかけると。
「心配だ」
「なにが」
「だって、若くてカッコいい水城先生は女子高でモテモテでしょ……」
最後の方は聞こえるか聞こえないかの声で、濁すように珈琲をすする矢嶋。
その物言いに思わず笑いが漏れる。
「くだらない心配するな。お前の方が俺は心配だ」
「なんで? うち男子高だよ」
きょとんと俺を見つめる兎顔。
それが心配だっていうのに。
俺はマグカップをテーブルに置き、両腕で矢嶋の身体を引き寄せた。
矢嶋は嬉しそうに小さく笑い、ぎゅうと俺にしがみつく。
珈琲の香りが漂う静かな部屋で、矢嶋の体温を感じながら、そっと目を閉じた。
<終わり>
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