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「――もう戻れない。一度染み付いた汚れは拭えないんだよ……。」
そう呟くように話す亜希は、もはや久保を見ていない。
「……高津さん、もう、話は終わった。行こう?」
「まだ、話は終わってない!」
亜希は高津の肩に手を置く。
「――ううん、おしまい。」
そのまま吸い込まれるように高津にキスをする。
久保は血の気が引いて、今にも倒れそうになった。
――正夢。
高津は亜希の泣きそうな表情に、そっと抱き寄せると久保から亜希が見えないように隠す。
「――サヨナラ。」
膝に力が入らなくて、久保がその場に崩れ落ちる。
(……行かないで。)
そう思うのに、バカみたいに体が動かない。
久保を助け起こす万葉が高津を睨み付ける。
高津は亜希を抱き締めたまま、万葉と対峙した。
「思惑通りで満足……?」
しかし、高津は何も答えないまま、上着を手にすると亜希を連れ立って出ていく。
「……進藤さん! あなたも彼に何も言う事はないのッ?!」
万葉の喚き声に、亜希の歩みがピタリと止まる。
縋るような眼差しで、久保が顔を上げる。
その表情を見た途端、胸がギュッと締め付けられる。
そして、無言のままで深く息を吸うと、無理矢理笑みを作った。
――哀しげで。
――辛そうな笑み。
「……お幸せにね。」
その表情に高津は眉をひそめると、少々乱暴にドアを開け放つ。
「――亜希、帰ろう。」
「うん……。」
そして、万葉をひと睨みすると部屋を出る。
亜希は静かにドアを閉めた。
怖い顔をしたままの、高津に甘えるように擦り寄る。
「……あれで満足?」
「概ね、な。」
亜希は演じ切った役者のようにホッとした表情になる。
一方の高津は苦々しげなままだった。
本鈴のチャイムが鳴って、疎らに廊下を出歩いていた生徒達も各々教室に入っていく。
「――何か、不満?」
「いや、君は上出来だよ。」
小さく首を傾げる亜希の頬に触れると、泣きたいのをこらえたせいか、目の周りだけ熱を持っている。
「……あの場で泣き出すかと思った。」
「最初からこのつもりで、私を連れて来たんじゃないの?」
亜希が首を傾げて訊ねると、高津は短く「ああ」と答える。
「――だが、君をあんな風に苦しめるつもりは無かったんだ。」
高津が後悔の言葉を口にすると、亜希はくすりと笑って階段へと歩き出す。
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