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「高津さんでも後悔する事があるのね?」
ふふっとおかしそうに笑うと、高津の腕を引いてカウンセラー室前を後にする。
そして、内心、安堵していた。
(……これで久保センは自由になる。)
自分に縛られる事なく。
「――亜希。」
一階に辿り着くと不意に呼び止められる。
振り返ると誰が見ているか分からないのに、高津は亜希を抱き寄せる。
――甘いムスクの香り。
どうしたのと訊ねるより早く、唇を塞がれる。
――深い口付け。
亜希はそれを嫌がる事なく受け容れる。
そっと唇を解くと、高津の長い指が髪を梳いていく。
「……浮かない顔だな。未練でもあるのか?」
「――むしろホッとしてたところだよ。」
「……どうだろう、女はみんな嘘吐きだからな。」
――高津なりの謝罪。
亜希はふっと笑みを零した。
「――高津さんの方が、人を騙すのが巧い癖に。」
「人聞きの悪い事を言わないでくれ。」
そして、来賓用玄関へ向かい、手早く記帳を済ませる。
「私、靴を履き替えてくるね。」
「……ああ。」
そして、立ち去る亜希の様子を目で追う。
空元気を装う亜希に胸が痛む。
「亜希、君は……。」
亜希は廊下の角を曲がり、職員玄関へと消えていく。
(……君は、俺のモノだ。)
高津はそっと握り拳を作ると目を閉じた。
彼女は相容れないと知ってもなお、久保を想う。
『――サヨナラ。』
あの一言を言わせたかったのは自分なのに、今は酷く胸が騒ついた。
(――あのまま、久保の胸に甘えて生きる事も選べたのに。)
しかし、亜希はそれを選ばなかった。
それだけでなく、高津を責めるような事も言わない。
(……また、傷付けた。)
――傷付けたいわけじゃないのに。
高津が靴に履き替えて玄関を出た頃には、既に亜希は高津の車の横に待っていた。
「……遅くない?」
口を尖らせた亜希は、もはやいつもの亜希だ。
「――少し考え事をしてたからね。」
「あら、今度は何の悪巧み?」
「……だから、人聞き悪い事を言うなって。」
高津が眉を寄せると、亜希はふっと微笑む。
「――高津さん。」
「……何だ?」
「今の私はあなたのモノよ?」
高津は心の中を読まれたように感じて、ますます眉間に皺を寄せる。
「――私はあなたの味方なの。」
亜希は自分に言い聞かせるように呟きながら、高津の胸に顔を埋めてくる。
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