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「亜希?」
「今だけ……。ほんの少しだけ、泣いていい?」
最後の方は涙声になり、鼻をすすり始める。
「……本当は正門を出てからって思ってたんだけど、な。」
ロータリーで待つ間、久保との思い出があちこちから顔を覗かせた。
――あの頃と空の青さや木立の緑は何一つ変わらないのに。
昼間の空に春の夫婦星は見付けられない。
空に浮かぶのは歪な形の白い月で、薄曇が掛かるとそれも霞んで見えなくなってしまう。
(今の私みたい……。)
そう思ったら涙が込み上げて来てしまった。
「……少しだけ、だから。」
ぼろぼろと涙を溢し始めた亜希を、高津はそっと抱き寄せる。
「――好きなだけ泣けば良い。」
雲は静かに流れ、木漏れ日と薫風が二人を優しく包む。
華奢な肩が涙に震える。
高津にとってひなげしのように可憐な亜希は、同じけし科でも久保には阿片のような毒になるだろう。
(後は久保がどう動くか、だな……。)
拒絶されても亜希を追い求めるのか、妥協して万葉と歩み始めるのか。
シナリオとしては後者を求めていたはずなのに、それを選ぶ久保を想像して、勝手だとは分かっているが腹立った。
しばらくして亜希は、指先で涙の雫石を払う。
「落ち着いたか?」
「……うん、もう平気。ありがとう……。」
僅かに微笑む亜希は、スッキリした表情をしている。
「――じゃあ、乗って。」
高津に続いて亜希は車に乗り込んだ。
「……ねえ、泣いたらお腹が空いてきちゃった。」
時計は11時を三分の二ほど過ぎた頃だ。
「――近くに喫茶店があったから、そこでいいか?」
亜希が横に首を振る。
「……もっと良いものが食べたい。」
「……良いもの?」
「うん、そしたら今日の事は全部許してあげる。」
「そのスーツを買ってやっただろう?」
「これは渋る私を理事長に会わせるまで。……だから、かなり不足だよ?」
高津が片眉を吊り上げる。
「……それに高津さん、最近、ちゃんとしたものを食べてないでしょ?」
「『ちゃんとしたもの』ねえ。そんなメニュー、近くの店にあったかなあ……。」
「――また、そう言う減らず口を叩くんだから。」
そう言ってむくれる亜希の様子に、高津は苦笑を浮かべると、サイドブレーキを下ろして車を発進させた。
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