56人が本棚に入れています
本棚に追加
「……ねぇ。もし、そうなったら、……頼ってくれる?」
「考えとく。」
「……もう。」
「嘘、嘘。頼りにしますよ、進藤さん。」
「本当?」
「ああ、本当。」
そう答えながら、久保は少し苦しかった。
――亜希が笑う。
部屋中に甘い沈丁花の香りを振り撒きながら。
「良い香りだな。」
「そこの植え込みにあったの。」
「……お前、学校の前栽になんてことを。」
「だって、良い香りがしたから。」
亜希はちゃっかり胸ポケットに一輪、沈丁花の花を差していた。
「久保センだってお花さしてるじゃない。」
「これは、れっきとしたお花屋さんの花だ。」
胸元の飾り花を指差して久保は言う。
「堅いこと言わないでよ。そうだ! 何か花瓶代わりになるもの無い?」
「紙コップならあるけど。」
「お水、入れてくる。」
亜希は水を汲みに廊下へと出ていく。
その姿を見ながら、久保はため息を吐いた。
(――進藤、行くなよ。)
自分を置いて、勝手に大人にならないで欲しい。
本当は傍に居てくれと言いたい。
――でも。
亜希のキラキラとした表情を見たら、そんな事は言えなかった。
しばらくして戻ってきた亜希は久保の気持ちなんて知らずに沈丁花を生け直す。
「――ほら、ここも学校でしょ?」
そう言って悪怯れずに笑う亜希に小さく笑い返すのが精一杯だった。
「――先生、あのね。」
「……ん?」
亜希が緊張した面持ちになる。
「私、先生が好きだよ。多分、恋に恋してるのかもしれないけど。」
――ドクン。
完全なる不意討ちだった。
ぎゅんと胸が締め付けられる。
しかし、振り返った亜希は晴れ晴れとした口調で続ける。
「答えは今は要らないの。いつか消える淡雪だといけないから。」
亜希の瞳には決意が見え隠れする。
その様子に彼女が急に大人になった気がして寂しいような、嬉しいような戸惑いを覚えた。
「……なんだそれ。」
久保は失笑まじりに答える。
すると、亜希がじっと自分を見つめてくる。
――真摯な眼差し。
久保は生唾を飲み、喉をごくりと鳴らした。
亜希の桜桃のような唇が動く。
「――先生は私が恋するのをまだ待ってくれる?」
その言葉は久保の心に「進藤 亜希」の刻印を施す。
――逃れられない。
あの日、久保はそれを身に染みて感じたのだ。
最初のコメントを投稿しよう!