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『先生は私が恋するのをまだ待ってくれる?』
亜希の声が何度も久保を捕らえにくる。
(――ああ、待つよ。)
思い出の中の笑顔の亜希が久保を慰める。
(早く帰っておいで……。)
グラウンドに響き渡っていた部活の声は既に止んでいる。
久保は自分の机まで移動すると、いくばくかの資料をのろのろと手に取って、今度は旧校舎側から階段を降りて職員室に向かう。
亜希の席は物も殆どなく、彼女が学園にいた気配は希薄だ。
がらんとした大きな職員室は、久保の心に空虚さを連れてくる。
――どこにもいない。
亜希のマンションにも合鍵を使って見に行ったが、久保が最後に出ていった日のままで、着替えを取りに来た気配もなかった。
彼女の実家からは、もちろん何の連絡もない。
猛の話によれば、警察にも事情を伝えてみたものの、「覚悟の失踪なのでは」と事件性が低いとして相手にして貰えなかったらしい。
――今夜も、長い夜がやってくる。
亜希の携帯に電話しても「お掛けになった電話は現在……」と流れてくるだけで留守電にもならない。
今日もまた一つ蓄まっていく発信履歴に心を痛めながら、久保は願う。
(無事で居てくれ……。)
それさえ分かれば、傍に居られなくても耐えられる気がした。
(神様じゃなくていい。悪魔でも妖怪でも構わない。)
――亜希が無事なら教えてほしい。
今はそればかりが頭を巡る。
(――お願いだから、アイツに捕まってないでくれ。)
久保は進藤医院でうなされながら見た、高津が亜希を攫っていく夢を繰り返し見るようになっていた。
――自分は棘で傷ついて、亜希を救けられない夢。
何度も「夢は夢だ」と自分を言い聞かせたが、不安と恐怖に押し潰されてしまいそうになる。
毎晩、毎晩、亜希は別れを告げて、自分に背を向ける。
〈――サヨナラ。〉
そして、真っ暗な闇の中へ、亜希は高津と共に消えていく。
久保はその度にびっしょりと寝汗を掻いて飛び起きる。
――その繰り返し。
正夢にならないで欲しいと願う事しか出来ない。
暗い職員室で亜希の席に座る。
久保は僅かでも亜希の気配を感じたくて、その机に突っ伏した。
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