第1話

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 私は、傍目には気付かれない程度に頬をぷりぷりと膨らませました。なんて失礼な人なのかしら、という思いが胸の内をぐぅるぐると巡り巡っているのです。声に出さずにいることを褒めて欲しいくらいでした。  さて、幼いおじ様の目的を果たすために、私は判子を取りに行かねばなりません。本当ならいつものように廊下をばたばたと駆けて行きたいのです。ですがいつも父様から「客人の前で無礼な態度を取ってはならないよ」と、耳にたこが出来てしまう程に言われておりました。例え礼を欠いたおじ様とは言え、客人は客人ですので、しずしずと心を穏やかにして、足先にまで細心の注意を払って目的地まで歩み続けました。  自分でも何故なのかは分かりませんが、勝手口から帰って来る時にも、脇の下には先程の大振りの手紙を挟んだままでありました。  小振りの三文判を勝手口の抽斗(ひきだし)から取り出して戻って来ます。  すると、 「ここに、本日の日付と日時を記して頂きたく」 とんとんと、節くれだったおじ様の指が、先程私から奪ったまま彼の手元にある紙を指し示しました。同時に、荒く先の削られた鉛筆を反対の手で私の空いた手に、ことりと乗せるのです。 「はい」  それを利き手に持ち替えて、真白き紙にするすると指定されたことを書いていきます。そして紙の端っこに、ぽんっと三文判を使って押印しました。 それを大きな動きでぶん取ると、 「それでは、家長殿に宜しく」 どかどかと無遠慮な音で我が家に踏み込んだおじ様が、大柄な体を横柄な感じに動かしながら、くるぅりと踵を返します。私はせめてもの反抗から、何も声を掛けずにその背を見送りました。  それにしても、このお手紙は何なのでしょうか。  おじ様の背が白刃の彼方に去ってから、私はじぃと手元を見つめました。  いびつに開けられた封の穴から、中に何枚か紙があるのはうっすらとは見えますが、どんな内容なのかはさっぱり分かりません。  父様へのお手紙。そんなものは、学者であるのだから日常茶飯事にやって来ます。やれ何処其処で会合があるだの、何処かの大学での講義のお願いだの。きっと父様の書斎の立派な文机を探せば、これまでに父様が貰ってきたお手紙なんて、それこそ浪漫的な物言いをすれば「星の数」、悪く言えば「塵の山」程あるに違いありません。
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