第1話

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 幕末に上野彦馬様が蘭書から知を得てそれを広めて以降、写真というのは次第に人々の日常に定着するようになっておりました。芸術写真などというものも1900年代初めに生まれましたし、ここ十数年の間に写真界では何やら大きな変革が起こったようです。一人の民草でしかない私に知れるのは精々この程度でしたが、ともかく写真が次第に民衆にとって身近で親しみやすいものになりつつあったのは皆の知るところでありました。  父様は学者として方々で活躍しておりましたので、私たちを養っても尚、ほんの少し余剰がありました。そのお金でしばしば流行の品物を買ってきては、あまり会うことの出来ない私たちに玩具代わりにどんどん与えてくれました。そんな玩具の中に、大分前に写真機も仲間入りしていたのを父様も覚えていたのでしょう。  出征の日は鼻先にまでやって来ておりました。明日(みょうにち)、父様は私たちを置き去りにして慣れ親しんだこの土地を去り、修羅の道へと進み行くのです。 「父様、うんと素敵なお写真、撮りましょうね」  少し焼くのを失敗してしまった魚を口に放り投げ、出来るだけ父様の好きな、純真無垢ないつもの私らしく微笑みました。 「そうだな、さと子。一生の記念になるような一枚を、撮ろうな」  父様の声が水気を帯びました。いつもは冷たいにび色に見えるだけの眼鏡の枠が、今日はまるで涙のように水色に光り輝いたような気さえします。  ――…それはもしかしたら、単なる私の目の錯覚だったのかも分かりませんが。
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