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 冥利(みょうり)の館(やかた)に火の手が上がったのは、獅子の月十日の深夜のことだった。  このところご城下でも夜な夜なごろつきどもが騒いではいたが、まさか冥利の館に火の粉が降りかかるなどと誰が想像していただろう。闇夜に踊る赤い炎と立ち上る黒煙を目にしたとき、館の衛士たちは狼狽を極めた。そしてその狼狽ぶりは瞬く間に伝染し、慌てふためき逃げ出そうとする人々で館は大混乱に陥った。  冥利の館はその名こそ館ではあるが、内外郭を持つ一個の城である。城郭の内にはそこで働く多くの人々が暮らす長屋があり、学問所や施療院など様々な施設がそろった小さな街でもある。  また館の門前には、冥利の姫から〈祝福〉や〈導き〉を賜ろうと地方からやってきた人々が宿泊する宿屋が建ち並び、さらには料理屋や土産物屋、それに賭場や見世物小屋など娯楽施設もぎっしりと建ち並んでいる。  そこにこの火事の知らせだ。館の内外から慌てふためき逃げ出そうとする人々がどっと溢れ出たのだから、たまったものではない。  辰星(しんせい)は、その溢れかえった人波を掻き分けるように、御門を背にして進んでいた。  賭場の始末はつけてきた。賭博師である辰星は、今夜は館の門前で常打ちしている賭場の仕切りを担当していたのだ。博打(ばくち)の胴元たちと協力して客を避難させ、売り上げも帳簿もしっかり辰星の懐に入っている。  今夜は門前宿の仙ノ屋(せんのや)のお座敷に、辰星が居候させてもらっている置屋の芸妓が二名、呼ばれていた。老舗宿屋の仙ノ屋は御門から少し離れた場所にあるので、まず大丈夫だろうとは思うのだが……辰星はその二名の芸妓、琥珀(こはく)と李古(りこ)の身を案じ仙ノ屋へと向かっているのだ。  しかし、その一方で辰星は、できることなら御門から中へ飛び込んで行きたかった。  お館の中……内郭の一番奥、ほとんどの者が立ち入ることも許されぬ奥の院には、伽絽(かろ)がいる。伽絽がいるはずなのだ。あれから十六年と三月と三日経っている。けれど、伽絽は間違いなくいまもあの場所にいるはずなのだ。お館の〈星読み師〉は皆、生涯を通じて冥利の姫に仕え、冥利の館の中でその一生を過ごすと言われているのだから。
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