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 けれど琥珀だけではない、糸把屋の他の芸妓たちもおかあさんも、誰一人辰星に問いかけるようなことはしない。いや、当時まだ十六歳だった辰星が、糸把屋に拾われるまでどこで何をしていたのかすら、彼女たちが問いかけてきたことは一度もない。  辰星は、むしろそれが不思議だった。琥珀姐さんも……歳笙(さいしょう)おかあさんも、僕を看病するために、僕のこの醜い身体を見ているはずなのに……僕が、普通の暮らしを送っていたわけではないことくらい、気が付いているだろうに……けれど、誰も、なんにも、問わないでいてくれる。  だから僕はこうして糸把屋で暮らせているんだ……辰星はつくづくとそう思う。  飛ばした〈眼〉は、宿屋の軒下に追いやられ怯えている李古の姿を捉えていた。辰星は〈眼〉の視界と肉眼の視界を頭の中で切り替えながら歩を進める。  自分でも、何故こんな〈眼〉を持っていて、何故こんなことができてしまうのか、さっぱりわからない。とにかく、物心ついたときにはすでに、辰星は〈眼〉を使っていた。 「李古姐さん!」  辰星が呼びかけると、琥珀もすぐに李古の姿を見つけたようだ。琥珀も声を張り上げる。 「李古ちゃん! ここだよ!」  柔らかく深く、そして豊かに広がる琥珀の声。  人々が口々に叫び路地全体がうわーんと鳴り響いているようなこの状況でも、伸びやかでよく通る琥珀の声に李古もすぐに気が付いた。 「琥珀姐さん! 辰さんも!」  李古が必死に人を掻き分け、二人の方へ駆け寄ってくる。 「ああよかった、怪我はないかい? ごめんよ、あたしがもっとしっかり李古ちゃんの手を握っていれば……」  琥珀に抱きしめられ、李古はただ首を振る。そして安堵のあまり脱力したのか、膝から崩れそうになった李古を、辰星も慌てて抱えた。  琥珀の声は、人を安堵させる。そのことは、辰星もよくわかっている。高熱を出し路地裏で行き倒れていた辰星を琥珀が拾ってくれたとき、大丈夫だよ、すぐにお医者さまに診せてあげるからね、と耳元で励ましてくれたその温かく柔らかな声は、辰星の耳の奥にいまも残っている。  人に押されながら、辰星は二人を庇うように抱きかかえた。 「とにかく糸把屋に帰りましょう」
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