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「綾子遅くなってごめん!今からそっち行くよ」
受話器の向こうで唯が言った。
「あ、うん」
「なに?まだ支度できてないの?」
「できてるできてる。あ、今日は私が車出すよ」
気持ちを切り替えようと、努めて声を弾ませる。
「へぇー珍しい。今日は飲まないんだ」
「今日は飲み気より食い気!唯、私の部屋わざわざ来なくていいよ。車を下付けしておくからそのまま降りてきて」
唯との電話を切ると、お気に入りのヴィトンのショルダーバッグを掛け、鍵を握り急いで部屋を出た。
5・・4・・3・・エレベーターの中で階を示す数字を見上げた。
・・・バカみたい。
電話が唯だなんて分かりきった事なのに。
ほんと、バカみたい。
一階を示すベルの音で目線を扉に向けた。
「唯ちゃんに慰めてもらうかなー」
苦笑いと重なる溜め息が、バッグの端を握り締める指先に落ちた。
「おっちゃん!大根とーあと、卵も頂戴!」
「ちょっと綾子、あんたラーメン食べておでんまで食べられるの?!」
水の入ったグラスを口から離し、唯が目を丸くした。
「え?普通に行けますけど、何か?」
「何か?ってあんたね・・・」
「だって今日はノンアルだから食べるっしょ。忙しくて休憩もろくに取れなかったから、お腹ぺこぺこだったんだもん」
目の前でグツグツと煮え立つ鍋を見つめ唾液を飲み込んだ。
私達が「ヒゲのおっちゃんの店」と呼ぶ店は、最寄り駅を出て、小さなロータリーを挟んだすぐ目の前に建っている。
屋台とも言える木で作られた小さな店は、深夜4時まで温かな明かりを灯す。
精々6人程しか座れないカウンターは、いつも深夜まで働く常連客で賑わっていた。
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