タイトル名 一殺多生 頂きます

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 ある方が、いただきますとは、恵んで貰っている人間が言う言葉だ。ちゃんとお金を払っている。いただきますと言わせるのは、おかしい。っと言った方がいたそうです。確かに、奈良時代か平安時代頃は正しいかもしれない。(料理を頭の上まで掲げた。これが、山の頂きに見えた。これから、頂きますという言葉が生まれた…。)しかし、今では、私は頂きますの意味に貴方の命を頂きますという意味が含まれていると感じている。いつしか、日本人は、何か、食べる人と、殺す人が分けられたのではないか…。これは、モンゴルの遊牧民の話です。家族同然に可愛がっていた羊を、ある祭ごとで殺して、その肉を料理して食した。その時、可哀相だっと言った方が。しかし、その遊牧民の方はこう言った。一つの事しか、しないというのは、おこがましいと。可愛がって、世話して、殺して、捌いて、料理して、そして・・・食べる。その内の一つしかしないのは、おこがましいと。スーパーに行けば、肉は切り身で、買える。殺す事もない。確かに、おこがましいのかも知れない。その切り身の肉の中には、殺している人がいる。私は殺していない。だから、お金さえ払えば、恵んで貰っていないと勘違いする方がいるのではないか。その点、野生の弱肉強食の中で生きている動物の方が、いただきますとは言わない?にせよ、その精神はあるのではないか。何故ならば、泣こうが、喚こうが、殺す事を止めない。それは、殺す事を止める事は、死を意味する。ただ、食らうだけでは無く、殺しているのだから。いただきますという精神はあるのではないかと感じる。(うまく言えないが。)その、野生となった人間が人間を食らうとしたら。それを、絵にしたいと思っています。いただきますという精神が・・・。(間違っているでしょうけどね。)
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