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胸がときめくとかドキドキするとか、そういう甘い味は全く無かった。あたかも昆虫標本に張り付けられた蝶のように無理矢理に羽を広げられて羽交い締めされてるような幻覚に襲われた。白昼堂々襲われる筈も無いのに、無意識に力が入る。熱にうなされた時のように全身の皮膚が浮いた。 薄手の手袋を被った指が私の唇を這う。全神経が唇に集中する。動けない、まばたきすら出来ない。自分が息もしてるのかさえ分からない位だった。 返事をしない私を変に思ったのか、センセイは首を軽く傾げた。 『右の奥歯が……』 それを聞くとセンセイは身を乗り出して私の顔を、正確には口元を覗き込んだ。その傾斜と共にセンセイの上半身に押された空気が僅かな風となる。消毒の刺激臭とお香の匂いが鼻を突いた。 『……』 嗅いだことの無い香り……。ほのかに寄せてくるそれは、制汗スプレーやシャンプーの類いではない。ほのかで有りながら芯のある匂いだった。私は瞬時に、ああ、これが香水なんだと理解した。  初めて意識した香水。
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