五木の子守歌を例にとる。

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話がそれた。 3番の歌詞だった。 お盆が終わった。 明日は、迎えが来るだろう。 あれ?今日はおとっ様が忙しいのかな? でも、明日かあさってには来てくれるだろう。 あ~あ。 松山で蝉が鳴く、秋口になっちゃったよ! おとっ様の嘘つき! 松につく蝉は、ツクツクボウシで、杉や櫟につく、アブラゼミやミンミンゼミと若干季節がずれる。 ツクツクボウシが鳴きだしたら、夏も終わりに近い。 仮に私が死んでも、哀しむ者なんか居まい。おとっ様にさえ見放されたオラだもの。ヒロインは、何もかも信じられなくなる。 死んだって、誰ひとり泣いてくれるわけじゃない。蝉が鳴くだけだ。 多分、親は、年季証文を差し替え、子守奉公は契約更新となったのであろう。 子守奉公は、どちらかと言えば、口減らしに近く、給金らしい給金はでない。さりとて、全くの無給でもない。 NHKドラマ「おしん」によると、一年の子守奉公の報酬は、米5俵(300kg)である。 可哀相で、父親は、娘にそれを話せず、会わずに帰ったのであろう。 四番につながる。 椿は、冬の花である。散る時、花びら一枚づつ散らず、花ごと落ちるから、「首切り花」と、縁起を担ぐ人には嫌われた。 椿が咲く冬には、自分はもう死んでいるだろう。それでも、水一杯すら手向けてくれる人はなく、水すらが、雨水以外頼る所はないだろう、と、歌うのである。 哀しい。あまりに哀しい。 次の章では、島原地方の子守歌を取り上げたい。
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