五木の子守歌を例にとる。

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いよいよ盆が来た。 それを歌ったのが二番である。 子守奉公の少女は、みすぼらしい作業着しか持っていない。盆が来たからって、着飾れない。村中が晴れ着を着飾るなか、普段の野良着を纏っている自分は、まるで勧進(乞食)みたいだ。 でもこの盆が最後だ。ああ早く、おとっ様よ迎えに来てくれ。 盆が来ても着飾れない少女の哀しみは、全国共通らしく、たとえば、竹田の子守歌のヒロインは 盆が来たとて 何うれしかろ 帷子はなし 帯はなし と歌っている。 やや長じた少女になると、着飾れないんじゃなくて、あえて着飾らないんだと、精一杯の意地を張る。 同じく、竹田の子守歌では 来いよ来いよと 小間物売りが くれば見もするし 買いもする と歌う。 少女の気を引く、きれいな小間物(簪や髪飾りなど)を売る小間物売りは、盆は書き入れ時である。 いつの時代も、商売人は、銭について人につかない。 銭持ってるはずがない子守奉公の少女は、無視して、「良か衆」のお嬢さんの機嫌を取る。 私の所へも来たら、手に取って見た上、ひとつかふたつ、買ってやらんでもないのに、スルーしやがって! 私が小間物を持たないのは、小間物売りがスルーしやがったからだ。 精一杯の抵抗である。 営業がかかっても買えるわけがない。 彼女の生活環境は、錦綾の子守歌に歌われたごとく 盆が来たなら 麦に米混ぜて しかも茄子の醤油炊きで といったレベルなのである。 米に麦混ぜて でなく、 麦に米混ぜて であることに注目して欲しい。 普段は、麦100%の麦飯なのである。お盆にだけ食べられる、ご馳走が、茄子の醤油炊きなのである。 醤油以外には何の調味料も使わない煮物がご馳走なのである。 砂糖味醂なんて、知りもしないのである。
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