五木の子守歌を例にとる。

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3番の歌詞で、あれ程、盆を待ち焦がれた少女は、帰れなかったことを知るのである。 その解説に入る前に、ナサリー・ライムズと子守歌の違いに言及しておきたい。 ナサリー・ライムズの歌詞は、愛情に溢れている。子ども目線まで降りて行って、子どもと童話を楽しんでいる。 メリーさんの羊も、しかり、 ロンドン橋落ちたも、しかり しかし、日本の子守歌には愛情のかけらもない。 西洋人は情に厚く、日本人は薄いのか そうではない。 ナサリー・ライムズは、母親に歌い継がれ、子守歌は、奉公人に歌い継がれたからである。 ナサリー・ライムズでは、赤ん坊は、自分の腹を痛めた、目の中に入れても痛くない実子なのである。 日本の子守歌に出てくる赤ん坊は、奉公先の主人の子である。子守歌の世界では、赤ん坊は、奉公人の飯の種でしかない。 日本の子守歌では、全国的に、寝る子は良い子で寝ない子は悪い子である。 そりゃそうだ。 赤ん坊が寝てくれたら、子守奉公の労働は軽減される。 中国地方の子守歌は 寝た子の可愛さ 起きて泣く子の 面憎さ と率直に歌っている。 甚だしきは、島原地方の子守歌では、 あんまり寝ないようなら、お前なんか女郎として叩き売ってしまうぞと、赤ん坊を脅している。 メリーさんの羊の、 メリーさんは、牧場主の娘である。 羊は、メリーさんの学校までついていく。 この歌を、学校になんかやって貰えない牧童は、どう聞いたろうか。 もちろん、マザーグースには、皮肉の利いた歌もある。以下の歌は、私は大好きである。 🎵 お金持ちに なりたい人は 5時に起きなきゃ なりません もう金持ちに なってる人は 7時まで寝ていい 金持ちなんて ガラじゃなければ 11時まで 寝てられる 🎵
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