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十代の多感な年頃の思い出なんて、時間が経てば都合よく美化されたり、他の記憶と混ざり合って、不確かになる。だから普通の大人は、少しくらい不思議な思い出があっても、それは年齢という時間の経過が生み出した幻だろうと考える。確かに、常識的な人ならば、そう考えるべきだろう。だけど、本当にそうだろうか。
十七歳の梅雨時、僕は、紫陽花の花に恋をした。
「それで学校をサボっているの?」
彼女は雨の日にだけ水生植物園の端にある東屋に現れた。
いつも薄紫色のワンピースを着ている。目鼻立ちがはっきりしているわけじゃないけど、水に柳の葉を浮かべたような柔らかな雰囲気で、美人の部類に入るんじゃないかと思う。静に通る声で語りかけ、時に優しく、時には力強く、その印象を目まぐるしく変化させる。
まるで掴みどころのない女の子だ。名前はみずき。水の器、と書くそうだ。
「私だったら絶対にサボったりしないけどなぁ」
みずきは、どうやら学校には通っていないらしい。会えば必ず友達や学校の話をしてくれとせがまれる。正直な所、そうした話題は少々話しづらい。別に友達がいないわけでもないし、後ろ暗い事があるわけでもない。ただ、もう面白そうな事は話し尽くしてしまったのだ。おかしなクラスメイトの事も、偏屈な先生の授業のことも、全てだ。ものの数日の間に、だ。僕にはもう、話せることがない。つまり僕は、自分自身を薄っぺらいと感じ始めてしまったのだ。
「例えば、こういう考えはどうかな?アナタは学校に通う意義が見出だせない。だから、この数日だけで、話せることは話し尽くしてしまった」
まぁ、平たくいえば、そういったことになるかもしれない。
「きっと中学の頃のアナタは、こう思って高校を受験したと思うの。みんなが受験するし、良い学校に入れば、ちょっと優越感に浸れる、と」
スバリと鋭いことを言われた。
「そんなことはない?ふふふ、でも、私はそれで構わないと思うの。だってそうでしょ?誰もが十五やそこらで夢を見定めて激流に挑むわけでもないでしょうし。ねぇ、あそこの紫陽花を見て」
彼女の指差す先にあった紫陽花の茂みは、その一角だけが見事に紅く、青い世界に彩りを添えていた。
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