2768人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
◆◆ side 望愛 ◆◆
慣れないヒールなのに、むきになって急ぎ足になる。
奥歯を噛みしめながら目には涙が滲んでいた。
化粧室に飛び込んでクラッチバッグを投げつけるようにドレッサーの台に置いた。
…私の何が気に入らないの。
爪の跡(アト)が残るほど拳(コブシ)を強く握った。
彼のために頑張ろうとしてるのに、労(ネギラ)ってもらえるどころかいつもこんな仕打ちを受ける。
…あんなこと
思ってたって口に出さないで欲しかった。
あの場で否定もしなかったいい自分。
たまたまお客様は近くにいなかったけれど、社員は何人かいた気がする。
…渉さんにも…室長にも…気付かれたかもしれない。
…男性経験がない。
悔しいけれど、彼の言うとおりだった。
だからって、あそこで「いいえ、経験あります!」とでも言えばよかったのだろうか。
私に経験があろうが、なかろうが、あの場であんなこと言われたら、ああするしかないじゃない。
私は洗面台にもたれて息を吐き出した。
思わず会場を飛び出して来てしまったけれど、こうしてるわけにもいかない。
…今日は仕事なんだから。
拳をほどいて、何度も深呼吸をしてルージュを塗り直す。
遠野会長の言葉を思い出す。
『今日は渉のことをよろしく頼むよ。』
私はアイラインの滲んだ目元をもう一度きれいに直して重い足取りで化粧室を後にした。
最初のコメントを投稿しよう!