クライアントNo.0月見草

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午前2時をまわっていた。漆黒の公園の草むらに人影が二つ重なりあう。 他には誰もいない。風が捨てられた新聞を舐める音がビリビリと響く。 戯れあいの最中。女は、スイッチが切り替わった人形のように無機質に立ち上がった。 乱れた白いブラウスを女は、ただ、淡々と直していく。細く長い指は、まるで何かの調べを奏でるように優雅だ。 そして、黒いジャケットスーツの襟を糺すと、相手の男を一瞥した。 水晶のように曇りのないその瞳は冷たく、底知れぬ闇をはらんでいた。 長く黒いストレートの髪がゆらりとなびく。 頭の先から爪先までカミソリのように隙がない。そして、危うい。 遊戯の幕開けも間もないというのに立ち上がってしまった女に、男は、苛立ちを隠せない。 途中で中断された男の欲望は狂暴だ。 それでも、男は、初めての獲物に対して、逃げられてはたまらないと優しさを取り繕った。 「どうした、怖いのか?」 女の目を見ながら長い髪をそっとかきあげ、唇を合わせようとする。柔らかな髪が音もなく静かに元の場所に収まる。 大丈夫だと言わんばかりに…。男は、女の目を見つめる。 しかし、女には見えている。 男の女を視る目付き。 獲物に早く ありつきたい浅ましい犯罪者の目付きを。 女は、顔を背け、一歩引く。長い髪が邪魔をして女の表情が隠れた。 「大丈夫だって…、悪いようにはしないって」 男は、苛立って実力行使に出ようとした。 男は、女の手を引く。 そして、女の目を見てしまった。一瞬、時が止まる。男は、畏怖しながらも女から目を離すことが出来ない。 狩人の目だった。研ぎ澄まされたトパーズ色に、男は、身を引いた。 後ずさる男の身体が突然沈んだ。 底なしの沼に引きずり込まれるかのように大地の中へと。 男は、首だけがでた状態で遥か頭上で微笑む女を見上げた。 さっきまでと違い、穏やかな女の顔に男は、恐怖を感じた。 「きれいな花になりなさい」 男は、女に頭を掴まれると大地にねじ込まれるように消えていった。
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