第1話

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 1 「じゃーな、これっきりだ」  人の少ない、空いたファミレスの中にそんな低い声が、溜息を含んだトーンで響く。レジ係が思わず声のした方向を見ると、彼の前をムズカシイ顔をした男がつかつかと早足で通り過ぎていった。呼び止める間もなくドアを押して出て行くその男の背中と、そんな彼が座っていた座席を交互に見比べて、「まぁ伝票は一枚だからいいか」と納得するレジ係。そしてそのテーブルには、透明な筒に突っ込まれた伝票と……力なく突っ伏した女の子が残されていた。  自分から告白して、付き合いだして七ヶ月。桐香にしてみれば何の前触れもない、突然訪れた別れだった。  顔を起こして、傍らに置いてあるカップを口につける。中身のコーヒーはもうすっかり冷めてしまっている上、苦かった。そして、茫然としていた桐香もこの一口で少し目が醒めた。  ああ、自分はフラれたんだな、と。  ずっと茫然としていたせいでよく覚えていないが、多分はっきりとした理由は告げられなかったように思う。そのせいか、彼女の胸の中には悲しみや落胆といった気持ちよりも、むしろ「?」マークや苛立ちの方が激しく渦巻いていた。  いや、今のコーヒー一口で渦巻きだしたと言った方が正しい。 (何なのよ、もう……)  そうなるとたった今自分の前から足早に去っていった男にも腹が立つし、暇にまかせてこちらをチラチラ見ながらひそひそ話をしている、アルバイトの女子高生にも腹が立ってくる。桐香は溜息ひとつ残りのコーヒーを一口で飲み干すと、ご丁寧にも(元)彼が置いていった伝票を引っ掴んでレジに向かった。だいたい何が悲しくて、別れた男の分のコーヒー代まで払わなきゃいけないんだろう――そう思うと更に腹が立つので、彼女は敢えてそれは考えないことにする。無理な話ではあるのだが。  早く家に帰ろう。こういう日はさっさと家に帰って寝てしまうに限る。そう勝手に決め付けると、桐香はガラス扉を開けた。次の瞬間、俯いていた彼女の視界に飛び込んできたのは濡れたタイル床。イヤな予感がして顔を上げると、外は雨が降っていた。勿論傘なんてあるわけがない。 (……ったくナニ! 何なの!)
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