第1話

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 言っていいモノなのだろうか。「あなたの表情が、男にフラれた自分に何だか似ていたから」と。そしたら彼はバカにするなと腹を立てるだろうか。だとすればムリもない、こんな情けない自分に似ているなんて言われて嬉しく思うようなヤツなんていやしないだろう。  そして、自分のことをここまでボロクソに思っている自分自身が、何だか悲しくなってしまった。  そんな思いを頭の中に巡らせている彼女をしばらく何も言わずに眺めていた彼だったが、やがてくすっと笑うと小さな声で呟いた。外の雨音に辛うじてかき消されない程の、そんな小さな声で。 「似たもの同士だと思った? 俺のコト」 「えっ……」  驚いて顔を上げると、目の前の彼は何とも言えない笑いを浮かべていた。ともすれば失礼な発言とも聞こえかねないその科白がひとつもいやらしく聞こえなかったのは、多分その笑顔にはかなり自嘲が含まれていたからなのだろう。 「……フラれたとか?」  確認までに尋ねてみると、彼は少し寂しそうに肯いた。 「ついさっき、『もう会わない』って言われたトコだよ」  フラれ文句までそっくりだ。同じ日に同じように恋人にフラれたヤツがいたんだと思うと妙に可笑しくて、桐香は思わず吹き出してしまった。 「ふーん、ホントに似たもの同士だねえ」  それが、桐香が彼と会って初めて見せた笑顔だったに違いない。  * * *  雨の平日は人通りが少ないとはいえ、駅に続くこの地下道はやはり時々人が通る。階段に腰掛けた二人に少し邪魔そうな顔をして、傘を持った人々が足早に通り過ぎてゆく。そしてその足音は、彼らが外に出る頃には、ラジオの雑音のような雨粒のざわめきに飲みこまれて聞こえなくなる。  そんな空気の中、かれこれ十分ほど桐香は目の前の彼との会話を楽しんでいた。とは言っても、その会話の内容といえば桐香が元彼の悪口を言い、それに彼が相槌を打ち、時々突っ込みを入れる……というものに過ぎないのだが。  そんな早すぎる馴れ合いともとれるやり取りの中、二人はずっと笑っていた。まるで今日、しかもつい先程会ったばかりの関係であるなどウソだと思ってしまえる程に。
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