第1話

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 不意に人通りが途絶え、デニムのロングスカート越しに伝わってくるコンクリートの冷たさが気になった桐香は一瞬腰を浮かせた。そして、ふと気付けば外の雨音はもう聞こえなかった。憂鬱な雨は既に止み、湿った春の空気は車が通り過ぎる音だけを地下道に伝えていた。 「あーあ、また今日からひとりかぁ」  少し大袈裟なトーンで呟き、長い間丸めていた背中を反らせて大きく伸びをする彼。そんな彼に、桐香は少しはにかみながら自分の携帯電話を差し出した。 「さっき、ひとつメモリ消しちゃったから穴空いてて……よかったら番号、教えてくれない?」  突然の申し出に一瞬キョトンとした彼だったが、快く頷くと桐香の携帯電話を受け取る。そして、ポケットから自分の携帯電話を取り出し、彼女に手渡した。 「じゃあ……折角だから俺からもお願い」 「ん、いいよ」  笑顔でそれを受け取りながら、桐香は何となく、彼が付き合っていた女(ひと)の番号を消していないという気がしていた。確信ではないが、だとしたらそれは少し不服だった。どうせここまで似た者同士なら……と思ったが、それは口にも表情にも出さなかった。こればかりは「他人」が口出ししていい部分ではない。桐香自身すっかり忘れていたが、彼は今日出会ったばかりの相手なのだ。  やがて、名前と番号が入力され登録待ち画面が表示されている携帯電話が桐香の手に返ってきた。竹田祐司――それが、今まで知らずに何十分も話し込んでいた彼の名前らしい。  彼の短縮メモリ番号を自動設定にすると、つい先程まで桐香が一番よく使っていた所に穴を埋めるように設定された。 「へえ、相馬桐香さんっていうのか」  自分の手に戻ってきた携帯電話のディスプレイを見ながら呟く竹田。フルネームで呼ばれたのは久し振りである。 「気軽に誘ってよ。メシとかなら付き合うから……どうせ暇だしね」 「ははは……俺もだ」  笑うしかない共通点。実際休日にお洒落して出かける必要のなくなった二人はまさにフリーなのだ。自由という意味でも、暇という意味でも。
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